1972年の文庫本を中古で手に入れた数年前。ワタクシは 學而時習之、不亦說乎。
学びて時にこれを習う、また悦ばしからずや。これを標語にして壁に飾っておこうと思うぞよ。
ところでド・ブロイ波もその後の量子力学もようわからん。ド・ブロイ波の波長λは
λ = h/p p=mv という関係である。そのラムダは1927年に数人の実験屋が確認した。デビッソン、ガーマー、G.P.トムソンですね。しかし、何が振動していての波長なのか。当時は不明。今も不明だが波長がある事は明らかであり電子顕微鏡という応用もある。
ド・ブロイはボーアの角運動量条件にド・ブロイ波を適用してみた。
m r v = n h/(2π) がボーアの水素原子モデルでの角運動量離散化の条件である。仮定ね。
両辺に2πをかけて両辺をmvで割ると
2πr = n h/(mv) = n λ。 あーら不思議、電子の円周は波長の整数倍になったのですねえ。ま~なんてことでしょ。
これはボーアの仮定の根拠となる、と思った。。。。。 ま~それはそれでいいのだけど、その後にシュレディンガーが波動力学を開発。ド・ブロイ波が従う方程式を出した。シュレディンガー方程式という。微分方程式である。水素原子に適用。水素原子のシュレディンガー方程式を解くと主量子数n, 方位量子数l, 磁気量子数mとパラメータが出てきた。そして水素原子の基底状態では電子はいかなる回転運動もしていないという結果になったのであるぞよぞよ。
だったら円周が波長の整数倍って意味ないじゃん(´・ω・`)
ま~ボーアの理論は前期量子力学ですからね。原子核の周囲にド・ブロイ波が定在波を作るという考えは描像としては単純ですが、シュレディンガー方程式の解は基底状態での電子はいかなる回転運動もしていないと言うからなあ。
ここらで、どないしよーーワタクシ。。。。。
という中でテキトーに検索していてドブロイに関して次のような資料を見つけたのであるぞよぞよ。
https://www.bus.nihon-u.ac.jp/wp-content/uploads/2021/09/KOJIMA_Chieko_2021-27-1.pdf
この中で著者は23年にド・ブロイがアインシュタインの光量子を積極的に指示し、他の物理学者は疑っていたという趣旨の事を書いている。コンプトン散乱の発見が23年だから当時としてはそうだったのかも知れないなあ。うむうむ。しかし、その後に光量子は光子に昇格したのだがね。
ま~そういう事も含めて興味深い文献である。
ド・ブロイのパイロット波は20年代終盤の鶴米会議で、いやソルベイ会議でパウリにこてんぱんに批判されて撤回したとか。だが50年代にボームによって蘇り発展もしたのであるぞよ。
「物質と光」はド・ブロイの論文・講演集である。1934年の講演か論文でド・ブロイはパウリ・ハイゼンベルクの場の量子論は失敗だったと書いておるおる。発散の問題が解決できないからであるぞよぞよ。
場の量子論はダメ理論である、場の量子論に対する不信感は続いたのである。量子電磁気学は発散を回避する手法を朝永振一郎らが開発して発展したのだが、素粒子論で場の量子論が活躍するのは70年代に入ってからである。グラショー・ワインバーグ・サラムの弱い相互作用の理論が60年代後半に出たが、くりこみ可能かどうか分からなかった。71年にオランダのトフーフトが弱い相互作用が繰り込み可能である事を証明して流れが変わったのである。80年ごろには素粒子の標準模型なるものが完成したと言われる。
で、ド・ブロイの話は? うむ。忘れた(´・ω・`)

