2025年03月14日

プロ野球観測隊員日記 株す どっひゃーす 共に日本に観光旅行に来たな

https://hochi.news/articles/20250314-OHT1T51067.html?page=1

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日本に観光旅行気分でやってきて、東京ドームでボロ儲けして帰る・・・ってか

コンコンチキ コンチキショー (笑)

まあプロ野球は見世物である、金儲けであるという原点から考えると実に合理的ですけどね。そこだな。

プロ野球で野球道を見せる選手あれば、派手なパフォーマンス見せる選手あれば、どーたら・こーたらの選手あれば。という事ですわ。どや。

投手では160km/h台を出して観客を沸かすのもあり、130km/hのヒョロヒョロストレートで三振をバッタバッタと取る投球術を見せるのもあり。
多様性なのである。打者も王のように引っ張りだけで本塁打量産もあれば落合のように全角度利用する打者もあり。多様性なのである。
落合が立派な事を言うとった。打者が1000人いれば1000通りの打撃術がある・・・とか。ま~、そこだな。
投手にしても未だに球速をスポーツ紙は書くが、もちろんある程度の球速は必要だが打者が打てないストレートは江川のように手前で浮き上がるストレートなのだ。球速は140km/h台でも十分であり、打者の手前で浮き上がるストレート。そういうのどのようにして投げる事ができるか・・・・・ 江川が引退して30余年。その浮き上がるストレートという投球術を未だに開発できないでいる。
そこだよなあ。投手コーチを含めてパカタレの鎌足ばかりで(笑)
球速自体は上がった。だが、ホップするストレートを投げる投手はいない。数少ない。一時期の藤川とか一時期の岸とか一時期の松坂とか・・・・というのはおった。

ようするにホップするストレートを投げるにはどうするか、投球技術開発ができていない。
既に最新技術で江川のストレートの回転数が群を抜いているという事はわかっている。ならば、どのようにしたらそういう回転数を上げる投球ができるのか、そこに投手コーチ等は注力すべきであろう・・・ ってかね。本人が投げる事ができないのを指導はできないなあ。

王の一本足を真似て一本足打法でホームラン量産・・・・って打者はオラン・ウータン 江川が投げるときにヒールアップしていたのを真似て投げてもホップするストレートにはならぬ。
野茂が1回背中を見せるような投球をするからと他の投手が真似ても野茂のような成績を出せるわけがなく。

ここだな。こういう一種の天才投手・天才打者の天才たる所以は、他の選手らが真似できない・・というところか。姿勢・格好だけ真似ても意味はない。モノマネ芸すれば受けるだけだ。

そして我々はそういう天才を何人か見てきて、今また天才を見ているわけだ。大谷翔平という天才である。天才として評価されるのは成績に依る。成績が伴わない天才は社交辞令の天才である。メディアの社交辞令である。
そして大きな声では言えないが、ワタクシもかつては天才と言われた時代がある。どや。なにしろ、子どもは みな 天才だあぁぁ とパカタレの鎌足のような評論家が喚いた時代がある。よってにワタクシも かつては 天才 だったのだよよん。どや。

成績が伴わない天才は社交辞令の天才である。ま~テキトーにおだてているだけってことだ。
天才が何人もいるかよ、って誰もが理解しているもののスポーツ報知では天才がたくさんおるおる。飽きるほど天才だらけの巨人である(笑)草 森 タンポポ
ま~社交辞令というよりはスポーツ報知の場合には チョーチン記事 というのが正しいかしら。も~も~ 天才がインフレ起こしておる。嗤うしかない。
高橋由伸、清水隆行、その他・・・・ 天才打者ばかりである。報知によるとね。そういう天才打者を何人も抱えていても日本一にはなれぬという現実から考えると、恥ずかしいから天才打者と書くなや (笑)草 森 タンポポ

だが、大谷翔平は天才である。天才とは1%のひらめきと99%の努力である・・・などとエジソンが言ったとか言われているが、それはどうでもいい。天才は実績で判断される。努力しようがどうでもいい。努力することが実績を出すのに必要であれば努力するしかない。それは手段である。そこだな。
小学生相手に努力の大事さを伝えるのにエジソンの話をする場合が多々あろうが、大人はそういう話で納得してはアポだ。天才とは実績で判断される。努力の有無はどうでもいい。知らんでもいい。
それそれの成績を出すためにはこれこれの練習が必須だということで実戦する。それだけだ。
天才と言われる連中は自分が努力しているという意識はなく、普通にやっているだけだと思っているであろう。そこだぜ。
努力しろ、努力すべし、とか言うのは小学生に対する指導ではあっても大人に対する指導ではない。
大人は、これこれの成果を出すにはこれこれの練習をすべきだと自分で考えて実戦する。そこに努力とかいう言葉はいらない。やらなければ成績が出ない。年俸がさがる。

だいたいな、物理の20世紀の天才・アインシュタインが努力したのか。大学では好きな科目だけ勉強して興味ない科目はあまり勉強せず。その結果、研究者として大学に残ることができず。学生結婚したので妻子を食わせるためにフリーターとかやっていたらしいぜ。その後にスイスの特許庁に職が決まって。友人の働きによってだけど。その特許庁必死に努力して・・・ということはなくてな。 特許審査の仕事を必死に努力してやって結果、物理理論がひらめきましたって話ではなくてな。
そこだで。努力とか言うのは当事者は意識しない。いつものことだ。それを見た人が言う、彼の努力は相当なものだ。。。 いや、当人は努力しているっておもってないって(笑)

というわけで、大谷もそういうタイプであろう。本人は努力しているという意識はなくいつものように練習して。それを外から見ると、彼は一生懸命努力している・・・という表現になろう。

ま~ほとんどは しんどい、つらい、くるしい、モー辞めたい と思いながらも練習を続け、それは努力していると表現できる。そうしないと成績を上げる、記録を作る事はできないからねえ。昨日よりも今日の自分はレベルアップしているという、一種の向上心を持てばそうな。そして成績を出す。エライ、立派だ。素晴らしいぞ。。。。 称賛されてとうぜんだ。素晴らしい。
だが、それは天才ではない。

努力セねば・やらねば・頑張らねば・・・・というのはワタクシのような凡人にとっては立派ではあるものの、天才ではない。天才は外からみれば、こいつ相当にすごい練習やってるぜ・・・という事を普通にやっている。そういうのを並の選手がやろうとすると・・・・努力しますっていうレベルでできるものでもない。

ま~ある意味、格差はあるのだよよん。

天才は努力しないでも出来る人という捉え方もあるが、お粗末過ぎる捉え方である。

まーしかし、スポーツメディアでは天才がインフレ起こして天才だらけである。なにしろ努力する天才というパカタレの鎌足のような事まで言う。記事が注目されるためには言葉が目立つのが卒すなので、言葉だけ過剰になる・・・ これでは北朝鮮の記事を連想するなあ。言葉だけ過剰なのが特徴だ、北朝鮮の(笑)

そういうわけなのでワタクシはスポーツ紙のアホ記事は嫌い。
天才が多すぎるぜ、報知。ついでにいうと ギアを上げる と書くなや。バカ丸出しに思えるねし。

しかーし、最後にワタクシは正しい事を書くである。

天災は忘れた頃にやってくる!!   そこだぜ。

だから、忘れるなや。忘れないと天災はやってこない・・・らしいぞ。知らんけど。

posted by toinohni at 13:33| 東京 ☀| Comment(0) | 日記もどき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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