物理学者は自然現象を説明するために数学を作り、あるいは既存の数学を思いもかけぬところで活用し、結局は自然の背景に数学があることを浮かび上がらせた。(と、ワタクシは妄想している)
ニュートンは微積分を創ったし、アインシュタインは重力理論に何の役に立つのか分からなかったリーマン幾何学を持ち込んだ。ディラックは数学者に先駆けてデルタ関数を発明し、理論に使うと同時に後の超関数のトリガーにもなったのである。(と、ワタクシは妄想している)
プランクの黒体輻射の数式は既存の級数をヒントにし、新たな考え方を取り入れたものである。級数そのものの研究ではない。(と、ワタクシは妄想している)
以上の事からワタクシは自然現象で今のところ説明が出来ないものを解明するためには新しい数学が必要ではないかとか、あるいは既存の数学を思いもかけない手法で活用するとか、そういう方向にすすむのではないか。(と、ワタクシは妄想する)
超ひも理論が登場してから30~40年すぎるか。この理論は検証できないとかの批判はある。ブライアン・グリーンが2000年頃に出した「エレガントな宇宙」の副題は「超ひも理論がすべてを解明する」である。それから四半世紀ぐらいが過ぎたのでも~も~すべてが解明されちまったわい・・・・という事はまったくなく。ブライアン・グリーンの大風呂敷がバレただけであった。
とはいうものの、自然の背後には人類がまだ知らない何がしかの数学的構造があるのではないかとワタクシは妄想するのである。
日常経験的な直感による自然観というものは人類の歴史においてたくさん否定されてきた。地球中心説の否定に始まり・・・でんでん・・・。
最近では量子力学の分野でアインシュタインが持っていた素朴実在論が否定されたのである。
素朴実在論では自然を解明できぬ・・・らしいのである。ま~それはタイヘンである。
というわけでワタクシは超ひも理論だけでなく他にもいろいろと新しい数学が登場するのではないかと妄想しておるおる。
点ではダメだ、そうだ一次元のヒモにしよう、待て待て、それなら二次元の平面の方がよくね? 膜理論だ。 いや、いっそ3次元の球を基本にすればいいんじゃね? 球理論だ。
それって電子を半径aの球と考えてうまく行かなかった古典電磁気に戻ってるぜええええ (と、ワタクシは妄想する)
てなわけで入門書ばかり読む次第である。どや。
なにが?