2024年09月16日

一日一項目 C++で使える format とかいうやつ なあぁにぃぃみつけちまったな

#include <format>  これがDELL OPTIPLEX 7010SFF Win 11 23H2(非推奨PC)のVScodeでエラー。C++20に対応するコンパイラではない、というのが理由の一つ。もう一つは対応している場合でもオプションで指定が必要というワタクシにとっては不可解な状況。
> g++ –std=c++20 hagehage.cpp   と書け。そこでc++20を指定しろという。なんでや。最新をデフォにするのが筋ではないのか。ワタクシ ムカッパラ。

しかーーし、地道にVScodeの json fileを修正しデフォでc++20に設定し次のようなコードを試したのである。
image

結果の出力
The number is 42
The number is 42

ようするにC言語のprintf()で出来ることをc++20まで待ったという アポというかパカというか、そういう感じがあするのである。ほんま このような路線はなんだかなあ。

そこでワタクシは妄想した。妄想だからな。コンピュータ言語はAというコンピュータ言語で便利な機能が増えたら他のコンピュータ言語でも取り入れる。オブジェクト指向が流行ったらどのコンピュータ言語も取れ入れた・・た、気がする。取り入れてないコンピュータ言語もあるかもしれないが放置。
つまり、使い勝手が便利になる・・・それはユーザーは大歓迎だろう。そこだで。Pythonでき変数の型を書かないでいい。c/c++系の言語では書かないとエラーになる。しかしPythonのインタープリターは変数の型を類推するので時間がかかる。c/c++では型は指定されているから類推する必要もない。よってにコンパイラーのc/c++は速いのである。。半分ぐらいは正しい見方がある。

しかし、そこだで。c/c++でも方の類推機能をつければいいではないか。どうせコンパイラーだ。コンパイルする際には時間がかかってもexeファイルができたら、ファイル名を叩けば動作するのだ。
コンパイラこそ型の類推をすべきであろう。exeファイルを作るまでは時間がかかりますが、出来たexeファイルは高速ですぜ・。。・それでいいのである。

よってに型指定しないでもいいという楽なPythonの機能はc/c++でも採用すればいいがなや。と、ワタクシは考える次第である。妄想な。

Aというコンピュータ言語が便利な機能を持っている。ならば、そういう便利な機能は他のコンピュータ言語でも採用すべきである。このようにして、どのコンピュータ言語も機能に差がなくなる。結果として数十もあるコンピュータ言語は一つにまとまる。学ぶ側は楽勝である。
それがワタクシの妄想である。どや。知らんけど。

反論があるなら 0.5秒以内に反論せよ。なければワタクシの主張を認めるとみなす・・・・・・というアポな事を書いていたパカが昔いたなあ(笑) ワタクシではないすよ。

ま~なにを言いたいかと言うと今日の巨人・中日の試合まで時間つぶしをしているワタクシなのであるぞの。

ワタクシはプロ野球ファンなのである。どや。今年のパ・リーグは最低だ。ソフトバンクが首位を独走し、西武が最下位を独走。間の4チームは目立たぬ。新庄は日ハム3年めで二位につけているのだが、これは立派だと思うのだがソフトバンクの超絶・独走のおかげで目立たぬ。
中日の立浪、日ハムの新庄。ともにコーチ経験無く監督就任して共に2年連続最下位を記録した。3年連続の最下位は・・・日ハムは最下位はない。西武が独走しているからなあ。中日は最下位をヤクルトと争っているのだが、これは仮に中日が5位で終わってもワタクシとしては3年連続最下位と同等とみなす。ようするに、ダメダメ。ダメよダメダメ。あいつらどこに消えた?

コンピュータ言語はどの言語も似たような機能を持つ。ならば記述の統一化という方向性が出てくるべきか。。。とワタクシが妄想したときに思い出した。
世界共通語として エスペラント というのが昔の昔にあった。まったく普及しなかった。なんでだろう、なんでだろう、なんでなんで。な―んでか?
それはね、・・・・・ 知らん。

自然言語の共通化とコンピュータ言語の共通化は次元が違うとは言え、コンピュータ言語の1本化は困難であう。というか、無理であろうとワタクシは捉えている。妄想としてはあり得るのだけど。

そういう事を考えていて量子力学の解釈問題を連想した。あれもまとまらない。いくらでも解釈はあり、いずれもが実験結果を説明できる。そうであればワタクシも珍奇で新規な解釈を考えてだな・・・・こらこら。

要するに自然言語は人工的な言語で1本化できない。コンピュータ言語も機能の共通化は図れるとしても一本化はできない。量子力学の解釈も一本化はできない。人類史の戦争の歴史を止める事はできない。紛争は途絶えぬ。

実はそういう状況こそが地球が生きている証であるとワタクシはさっき考えた。1本化とか共通化とか人類皆幸せとか・・・ありえない。ありえたら地球史は終わりである。

一様・・・・というのは自然は嫌う。みんな平等というのも我々の経済社会は嫌う。極論ではみんなが貧乏で平等なのが良いとかいうパカとアポが出てくる。平等は自然ではありえない。知らんけど。

つまり、ワタクシはprintf()で出来ることをc++20まで出来なかったc++という言語に何か、これは、いったい、なんだろかという思うなのである。
簡単に出来る記述があるなら、それ使うあるよろしね、わざわざムズカシのつかうのアポあるよ。3×3を計算するのに、わざわざ電卓だして計算したり、Pythonでコード書いたりしないでっゅ。そこだね。

地球が生きているという発想にたどり着いたワタクシって超・賢い気がしないかい?  


しないってか。コンコンチキ!

posted by toinohni at 15:03| 東京 ☁| Comment(0) | ソフト系雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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