ある科目を勉強する。学校では年間でどれだけの内容を教えるか決まる。それに則って授業が計画される。あくまでも教える側の都合だ。
それは本でも同様であり著者が伝えたいことが書かれている。そりゃそうだ。
だが、学ぶ側の興味は授業の進展と関係ないし本の内容の順序とも関係ない。疑問が出たときが学ぶべきとき。
疑問が出た時が学ぶべき時。ワタクシは閃いた。それには訊く聞く勉強法が適している。疑問が出たら聞く・訊く。チャッターズに訊く・聞く。
これが学校であれば質問するにしてもワタクシ一人が何回も質問するわけにはいかぬ。そこのそこから次の行に移る際の数式の変形が分かりませぬ・・・・なんてこたーワタクシにとっては日常茶飯事なのであーた。どや。こう見えてワタクシ 愚脳なのですぜ。どや。どーーやあぁ。
というわけで、疑問が出たらチャッターズに聞く訊く。それでいいのだ。そして回答があったとしても、その回答か理解できるわけでもないし、その回答だ正しいという保証もない。
ま~発展途上のツールではある。
だが、このワタクシがさっき閃いた訊く・聞く勉強法は一部の学習塾では可能だ。それは個別指導というスタイルである。生徒が質問する。生徒の質問をメインとする。学校の授業の補習ではなく、授業でわからないので塾で勉強するというのでもなく。授業での疑問、まずは疑問を明確にしてから質問させる。そこだで。個人別というのがどのような内容なのかワタクシは知らぬが、塾の話はどうでもよきて(笑)
物理で分からないことがある・・・調べる。Googling, そして今、chattering だあーーーーーーー しらんけど。
聞きまくる。昔、高校の頃にワタクシがそれやったら・・・ 少しは自分で考えろやと言われたのである(笑)
だが、そこで飽きずにワタクシの聞きまくりに答えていたらワタクシの理解は一気にギャップを超えたであろう。いろいろと聞いている内に、ああ、そういうことか、という閃きが生ずる。場合がある。たぶん。
聞きまくる戦略はワタクシ高校の時は挫折したのだが(笑)
そして今、物理化学、コンピュータ言語にしても聞きまくる。自分で調べると時間がかかるのでね、えーえー。
聞きまくる事がないという人は物事を十分に理解しているか、実は何もやっとらん人である。おそらく、ほとんどが何もやってないという無能で自ら考えるという事をしないパカたれどもであろう。そういうのオレオレ詐欺にやられる。そういう無能のパカたれどもがオレオレ詐欺にヤラれるのを知ると、どうして無能のパカタレどもがカネ持っているのだ? という疑問が出る。もちろん自らが汗水流して稼いだカネではなかろ。相続等でカネがあるってことだろ。たぶん。
無能のパカたれどもが俺よりカネがあるというのも現実の世の不思議さであるぞの。相続等でえたカネであり自らが稼いだのではないとしても稼ぐ旦那・夫を数十年みてきているわけで学ぶところはあったはずなのだ。経済社会の仕組みを知る機会は十分にあったはずなのだ。だが、パカたれになってしまったのだ。なんでだろう、なんでだろう、なんでなんで。な―んでか?
知るかい。
とにかくな、聞く・訊く勉強法を活用するのだ。知りたいことはとっとと訊け。それは今日のプロ野球の試合の結果から一般相対論の解のシュバルツシルト半径まで多岐にわたるのでよいのだ。
聞かない・訊かない奴は脳みそが 田舎味噌。なにそれ。いいのだ。それで幸せに暮らしていれば。
訊く・聞く勉強法は何らかの目的・意図・意欲・好奇心がある人にとって有効であり、そうでない連中はどうでもえーわ。もう。
どのような生活であれ、生きている本人が幸せであれば良きかな・良きかな、である。
というわけで聞く・訊く勉強法って、ま~英会話はYutubeで十分とか、その手の情弱騙してカネ稼ぐって連中の発想みたいでワロタ。自分で自分自身をワロタく~ん。なにを!