H0 μ = 10 帰無仮説
H1 μ ≠ 10 対立仮説
おお、それで、それで、なにするの? てかね、検討の結果、帰無仮説は棄却されませぬ、受容されます・・・・という時に μ ≠ 10 はそうなんだな、10ではないのだ。どや。
ところが、ここでワタクシは勘違いした。帰無仮説が受容されたのだからμ = 10 でよいのではないかいと考えた。
ここが愚脳の浅はかなところだ。浅学非才!! 不勉強が身に染みる!! なちんゅーて。
μは10ではない事はわかったものの 10であるという事については分からないのである。μ = 10.5, 9.4 等の場合でも棄却されない場合がある。つまり、ここでμ = 10 と決める事は出来ないのである。ここらがな、昔から勘違いしはやすいところで、ま~日本語の能力も絡んできましてね、えーえー。
統計・確率って ジャストで確率はこれこれだあぁぁぁ・・・・などと言えるものではない。
サイコロ転がしでそれぞれの目がでる確率は1/6だと知っている。知っているだけで理解はしていない(笑) 偏りのないサイコロを無限回転がせばそれぞれの目が出る確率は1/6に近づくのであるという事を言う取るらしいぞ。こういうの頻度主義の確率って言うらしいぞの。
確率もね、日常では厳密に考えないから、何かを10回やって3回あたりだったら確率は3/10である・・・というのが日常的な経験での考えだ。それは数学の確率とちゃう。単にそのときの割合が3/10であるというだけだ。てな感じで確率ってなんだ? と考えると、ま~入門書にはいろいろ書いてある気がするが、何だかなあ。
プロ野球の打者の打率は・・・あれは確率なのか? 単なる割合ではないのか。知らんけど。
確率の定義をしっかりと理解してワタクシは確立したいのである。かくりつ を かくりつ して りかい したいのである。かくりつ を かくりつ したいのである。どやー。どーや。
そもそも確率って それらしさ 何だったら 3/10を確率と言っても良いがな・・・という気にもなってきた(笑) なにも無限回の試行などしなくてもえーがな・・・・つーか、実際はできないのだし。そだねえ。
数学には無限大が出てくるからなあ。抽象的思考が得意な連中はすぐ無限大を使いたがる(笑)
ワタクシは抽象的思考は得意ではないのである。物事はな、具体例をたくさん知って、それから抽象度を上げていくんだ。帰納法だ。アインシュタインだって特殊相対論が先で一般相対論は後だったざます。
で、何の話だ? そうだ。抽象だ。抽象的思考が得意な連中はラッキーである。ま、しかし、他人を中傷するような事はやめたまへや。抽象から中傷に脱線するというワタクシの得意技なのである。 どや。
知るかよ。