素粒子論の入門書を読むと電子には個性がない、毛がないとかいう。ワタクシもハゲでありまして毛がない・・・・ことはない。少しはある。うるせーーーーーー。
何を言いたいかというと、個性がないから区別ができないという。そこからフェルミ・ディラック統計の話が出てくる。
それと対になってボーズ・アインシュタイン統計というものも出てくる。この2つはいつも出てくるから対である・・・とワタクシは書いたが物理でいう共役の意味を意識しているのではない。同時に2つが出てくるので対と言っただけだ。なんちゅーて。
そして言いたいことは電子は区別できないという。嘘っぱちである。少なくともスピンの↑ ↓で区別できる。
電子はスピンが二種類あるので区別できるのだが、だから電子は個性がなくて区別できないという話との関係で説明する人をワタクシは知らない。知り合いはいないので知らない。なにそれ。
電子という括りは1つ、だがスピンは二種。よってに電子は二種類は分類できる。この分類できるという場合には電子が二種類ある、とは言わない。なんでか? 知らん。
素粒子はクォークが量子色力学を考慮して3世代18種類ある。入門書で3世代6世代というのは量子色力学を紹介しないからであり、初学者向けだ。そして、反クォークを考えると倍の36種類になる。クォークは3世代6種類と書く入門書は多い。反クォークを勘定に入れないのが伝統というか、実は暗黙の了解なので誰もが倍になる事は知っているってかね。そりゃ専門家・その分野に詳しい連中は知っているが、初学者・一般人はしらねーーーーーすよ、せんせーー。
電子はスピンが二種類ある・・・よってに2種の区別ができる・・・ならば、フェルミ・ディラック統計にどのような影響があるのか? 知らんわ。
フェルミ・ディラック統計は電子に個性がないという背景で成り立つ・・・入門書を読んだ限りではそんな気がするうううぅぅぅ。
つーわけで、このような事を意識して入門書等を読み直す。読書百遍意自ずから通ず、という諺がある。これは100回読めば分かるという意味ではないのだよ、ちみぃ(笑)
雑学増える、周辺知識増える、視点を複数持つ、そういう背景があっての読書百遍意自ずから通ず、なのだよ、ちみい。
ちみい、ちみぃは 誰? 知らん。