2022年09月27日

量子力学って分野があるらしいぞ なあぁにぃぃみつけちまったな

「量子力学と私」朝永振一郎 岩波文庫 90年後半出版かも の中に量子物理の四半世紀の素描(うろ覚え」という章がある。

そこでシュレディンガーの理論の紹介もある。シュレディンガー方程式の波動関数Ψをシュレディンガーははじめは電子の質量分布だと考えた。電子が原子に束縛されている場合はいいのだが自由電子の場合にはどうなる?  波動関数は広がって行くぞ。しまいには消えるぞ。と、ハイゼンベルグらに突っ込まれたのである。あらら、それは困ったねえ・・・ というところにボルンの確率解釈が出てきて主流になった。

シュレディンガーの波動関数は三次元空間に実在する波ではなく電子の振る舞いを記述する数学的言語のようなものだと考えられるようになった・・・・・とかの趣旨が書かれておったー。

ところが波動関数が三次元空間に実在するものではないと言いながら、二重スリットの説明では波動関数がスリットa,bの両方を通ると解説してある入門書がある。三次元空間にあるものではないのだが三次元空間にあるスリットa,bを通るって思いっきり三次元空間の物体構造に支配されてるじゃん(笑) なー、ここだよ。三次元空間にないといいながら三次元空間の物体構造に従っているじゃん!!  ばーーーか、ばーーーーか、おまいら ばーーーか。ワタクシは理解できないのだが、おまいら ばーーーか。。。。 なんちゅーて。

さらに第二量子化の話では波動関数を場と捉えて量子化する、と書いておる。こういうの、ワケワカラン。なので おまいら バーカ、ばーーか。ワタクシがわからんこと言うやつはばーーか、ばーーーか。 えーー、妄想を終わります(笑) ばーか ばーか はごめんなさいね。

「場とはなんだろう」竹内薫 KBB(講談社BlueBacksである。以下 当ブログではKBBと書く)
電磁場の量子化で光子の生成・消滅などがうまく行ったので物理学者はこれを真似た。つまり、波動関数を無理やり場と考えて量子化したのだ・・・・と第二量子化の説明のところに書いておるおるおったー。
ここな、電磁場、重力場の場と波動関数の場は同じ種類のものではないとワタクシは捉えているのであるが、そういう発想の制限はない方がいいようだ。物理学者の発想はワタクシが想像する以上に自由なのだな。

三次元空間にあるものではないと言いながら波動関数は三次元空間の物体構造に従うぞ、スリットa,bを同時に通り抜けるし、マッハ・チェンダー干渉計では光ファイバーの中を通るで。。。
おもっいっきり三次元空間の中にあるじゃん(笑) どーーよ。

波動関数の場はいつのまにかディラック場と書かれたり電子の場と書かれたりしてるで。朝永振一郎は「ディラック場の現れとして電子が、湯川場の現れとして中間子がある」と書いておるおる。するってーと。素粒子の一つ一つに対応する場というものがあるってーのか。逆か。いろいろな場が真空にはあって、その場の現れとして粒子があるってか。をいをい。
そういえばレオン・レーダーマンは「詩人のための量子力学」で素粒子は真空の泡立ちと書いておったーす。
佐藤文隆は「場の振動モードを粒子と言いくるめる 場の量子論」と書いておったーーす。
するってーと、これは朝永振一郎が言う、シュレディンガーの波動一元論を意味するのか。シュレディンガーは波動一元論の理論を構成したもののうまくいかなかったと書いてあったす。
ということは場の量子論はシュレディンガーの夢・波動一元論を実現したものなのか。どーや、知らんがな。

ここらでワタクシはボーアを連想した。ワタクシが高校物理を勉強した頃、ボーアの水素原子モデルが出てきた。水素原子スペクトルが飛び飛びであることを説明するためにボーアは水素原子に何らかの仕組みがあるのだと考えて、水素原子のスペクトルが説明できるようなモデルを作ったのだった。古典物理に新たな条件を付加し、その理論はうまくいった。高校の頃は、なるほどなあ、物理の研究ってこういうスタイルでやるのか、まずは仮定を置くのだなあ・・・・と感動したのだった。

そして、数十年が過ぎて量子論の入門書・教科書などを読むと、ボーアの手法はパッチワークだと書かれている。そう、結局は実験事実を説明するために何らかのいくつかのネタを集めてきて都合よく構成するのだ。
なんちゅーて。その水素原子モデルの手法が結局はボーアの研究手法として続いたのではないか。
とにかく、ボーアは発想が常人ではない。1920年代初期にはアインシュタインの光量子を否定する論文を共著で書いたが、そこではエネルギー保存則を捨てるという劇的なものだった。すぐにコンプトン散乱が発見されてアインシュタインの光量子は光子に昇格し、ボーアらの論文は屑籠へ。
また、原子核へ研究がシフトし始めた頃、原子核では量子力学は使えないのではないかとか、原子核内ではエネルギー保存則が成り立たないのではないか、などと発言したらしいぞの。思いついたら考えもせず喋るタイプなのだな(笑)

この手の話の詳細は「量子で読み解く生命・宇宙・時間」吉田伸夫 幻冬舎 2022   に詳しい。ちなみに、この本のタイトルはインチキである。内容は場の量子論の話であるぞの(笑)

  素粒子論は相対論的場の量子論を基礎としたゲージ場の理論で記述できる。「現代の物質感とアインシュタインの夢」益川敏英 岩波文庫 1997年頃。

ただ、ゲージ場の理論で記述できる・・・ようになったのは1970年代である。場の量子論は30年頃に登場した。パウリ、ハイゼンベルク、ディラック、ヨルダンら俊英たちが構築したものだ。それは発散の問題があり、使えない理論だと多くの物理学者は捉えた。
場の理論へ不信感は1970年代前半あたりまで国の内外問わず多くの物理学者が持っていたらしい。量子電磁気学では発散は朝永らのくりこみ理論で回避することはできたが理論から発散が消えたわけではない。
だが理論家は頑張る。1950年代にゲージ場の理論が登場し、60年代にはくりこみ群の手法が開発され、70年代初期には弱い相互作用がくりこみ可能であることが証明された。80年頃には素粒子の標準模型がまとまったのである。
場の量子論が登場してから半世紀後。
ワタクシは場の量子論の理論の理解などとっくに放棄し、せめて理論の流れ、発展の経緯、物理学者の四苦八苦・悪戦苦闘などに興味の対象が移ってしまっているのである。

だって理論はわかんないもんねーーーだ。波動関数が三次元空間に実在するものではないと言いながら二重スリットではスリットa,bを同時に通り抜けると言う。三次元に実在するものではない波動関数が三次元の構造物に従っているじゃ、あーーりませんか。マッハチェンダー干渉計の話では波動関数が光ファイバーの中の経路2つを同時に通るって書いてある本もあるぞ。3次元空間にないものが三次元空間の構造物に支配されてんじゃーーーん。
ここらワタクシはまったくワケワカラン。 というレベルですばい。

浅学非才!!  不勉強が身にしみる なのだよ(´・ω・`)

posted by toinohni at 10:07| 東京 🌁| Comment(0) | 物理科学雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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