とっても難しいのでまえがきだけ読んだ。そしたらいくつか他の入門書に書いてあることと同じことが書かれてあったのだった。注意だ、そういうところ。
他の入門書
「クォーク2」南部陽一郎 講談社BB 90年代後半
「現代の物質感とアインシュタインの夢」益川敏英 岩波 90年代後半
「場の量子論とはなにか」和田純生 講談社BB 90年代後半
「場とはなんだろう」竹内薫 講談社BB 90年代後半
「量子で読み解く生命・宇宙・時間」吉田伸夫 幻冬舎 2022
「量子力学と私」朝永振一郎 岩波文庫 90年代後半かも
もっとも新しい吉田伸夫の本はタイトルは嘘っぱちであって内容は場の量子論の話である。そして内容は他の本で気になったことがらが多々出てくるのである。どういうことか。
二重スリットの話が上のホントは関係なくサイト、本などに登場する。連続光でスクリーンに縞模様が生ずるのだが、光が波であると考えると説明がつく。それを量子力学バージョンで説明しようとすると、とっても変なことが出てくる。
光子を一個飛ばす、実験を繰り返す。起点が生ずるが回数を増やすと徐々に縞模様が現れる。連続光では干渉で持って説明できた。量子力学バージョンでも縞模様は干渉で説明される。では、光子一個なのにどうして干渉するのか。連続光と同じようになにかが広がって行き干渉するのである、とされる。何かとは、波動関数である。待て待て、光子の波動関数って何よ?
そこが昔から入門書を読んで不可解だった。光子の波動関数が空間に広がって干渉するのだが輝点が生じた瞬間に波動関数は一点に収縮する、という。
まず、光子の波動関数とはなにか? 連続光と同じように空間に広がるのだ、それは。そして輝点が生じた瞬間に消える。なによそれ。
ワタクシは光子の波動関数って電磁ポテンシャルのことかなと想像した。電磁ポテンシャルは微分すると電場、地場が出てくる。それが波動関数というのはいまいちわからんなあ。。。
というときに、吉田伸夫の本でディラックが第二量子化の後だか前だかで、電磁ポテンシャルを光子の波動関数だと考えたとか書いてあり、それは今では正しくないとさ~。
電磁ポテンシャルが光子の波動関数ではないとしたら、光子の波動関数ってなにさーなのだよ。連続光と同じく干渉を説明するためにはなにかが必要なのだよ。それが光子の波動関数ってことであったら、光子の波動関数ってどのように導出するのさ なのだよ。
光子は粒子である・・・と捉えて波動関数で計算するのかね、知らんけど。
和田純生の本では量子力学で矛盾することも場の量子論ではすんなりスッキリよよいのよいだあぁぁという趣旨の話があったが内容は知らん(´・ω・`) 光子の波動関数ってのも場の量子論ではスッキリコンコンするんかい?
第二量子化については竹内薫は、物理学者は電磁場の量子化がうまくいったの真似て、波動関数を(無理やり)場と考えて量子化した、と書いておるおる。物理学者ってディラックとヨルダンだろなあ。
朝永振一郎は、ディラック場の現れとして電子が、湯川場の現れとして中間子がでてくるとか書いておるおる。つまり、場の量子が素粒子なのである。場があるから粒子が出てくる。
高田馬場からは馬が出てくる・・・・・・・ わけないだぎゃーよ。
しかーーし、大貫の場の量子論のまえがきでは、波動関数は量子化の対象となる実在波ではないと異を唱えているのであるぞうさん。
だが、パウリ・ハイゼンベルクの29年の論文は「波動場の量子力学」であって波動場とは波動関数のことだろ。なので量子化していいんだよ、実在波でなくてもさ~。。。テキトー。
そして吉田の本では場の量子論はヨルダンが深く関与していることがわかる。ハイゼンベルクの行列力学はアイデアはハイゼンベルクだが行列形式でまとめたのはボルンとヨルダンだってさ。なのでノーベル賞はボルン・ヨルダン・ハイゼンベルクの3人が受賞していいはずだったさ~。でもハイゼンベルクだけだったさ~。
このヨルダンの量子論への貢献はノーベル賞受賞して当然だとど素人のワタクシでも思うものの、ナチスに傾倒したヨルダンはノーベル賞委員会から煙たがられたという噂があるさ。
で、量子力学の分野限定で考えるとドンづまるが場の量子論で考えるとスッキリズバッとさわやかになる場合がある・・・らしい。
和田純生、吉田伸夫の本を読んで感じた次第である。
さてと、いよいよ内容に一歩入るか、上の本の・・・・ 数式ばっかなのさ~。くるしいさ~。
なんでさ~? 知らんさ。