感想 ---- たいへん面白かった、終わりm(_ _)m
こらこら、もう少しマシな事を書けよ、ちみぃ・・・・
というわけで少し真面目に書く。ワタクシは素粒子論の入門として次の本を読んだ。
「クォーク2」南部陽一郎・講談社 Blue Backs 1998年頃
「素粒子の統一理論を求めて」西島和彦 岩波 1998年頃
「現代の物質観とアインシュタインの夢」益川敏英 岩波 1998年頃
その中で弱い相互作用に関する記述がある。その中でワインバーグ・サラム・グラショウの電弱統一理論の話もあった。
簡単に概観すると量子電磁気学(QED)がうまく行ったので物理学者はその路線で素粒子論もなんとかしようと考えた。QEDはゲージ場の理論でもある。相対論的場の量子論を基礎にしたゲージ場の理論である。素粒子をゲージ場の量子として捉える。。。これはゲージ場である電磁場の量子 = 光子の場合にはうまくいった。そこで生ずる発散は朝永らの繰り込み理論によって回避されたからである。
ところが電弱理論が出た1960年代後半に置いては、それが繰り込み可能であるかどうかが不明だった。繰り込み可能でなければ理論は破綻する。計算すると無限大が出てくるのである。
1972年にオランダのト・フーフトが弱い相互作用の理論 = 電弱統一理論が繰り込み可能である事を証明した。そこから素粒子の標準模型のへ完成が加速されるのである。1980年頃には素粒子の標準模型はほぼ完成した。ゲージ場の量子は質量ゼロでなければならず、それはビッグスらが珍奇なアイデアを出してしのいだ・・・(珍奇というのはワタクシの感想であり )
これらの話は1960年から1980年までの話である。
グラショウの上の伝記はそこらを詳細に、グラショウの経験をベースに書いている。グラショウは電弱理論(のトリガー)を師匠のシュインガーに割り当てられた。シュインガーは朝永・シュインガー・ファインマンのシュインガーである。当時の素粒子物理学の一線級の指導者の元で、若者が成長していく過程でもある。
1960年頃から1970年代終盤までの素粒子論の発展の経緯を弱い相互作用を中心にして知ることができる本である。
ワインバーグ・サラム・グラショウは1979年にノーベル賞を分かち合った。賞金は分割である。単独で受賞できなかった事をグラショウは悔やむのであった(これは冗談)
というように、グラショウの伝記なのであり、まあ自慢話があっても良い。しかし、グラショウは女友達が多かったし、物理学者等も知り合いが多いなあ。大学もいくつか行っているし。
グラショウは女友達が多い割には結婚したのは離婚して二人の子連れになった女性であった・・・なむう。。。。。
ここからワタクシの駄文は本格化するのである。覚悟したれよ、ちみぃら。
2000年頃に「エレガントな宇宙」ブライアン・グリーン を読んだ。副題が「超ひも理論がすべてを解決する」であった。 ほら話であった(笑)。ブライアン・グリーンは本の中で、今後10年内にこの分野は画期的な発展をする、と楽観的な予測をしていた。その画期的な発展ってなんなのさ、グリーン君。もう20年過ぎたのですぜ、グリーン君。どないなってんのグリーン君。
「クォーク2」で南部陽一郎は現在の物理学は曲がり角に来ていると書いておったーーー。1998年の本だ。
理論と実験が車の両輪としてうまくコラボして走ってきた時代が終わったのだ。理論の車の回転が早く、実験の車の回転が遅いと車は全身できない。グルリンコと回ってしまう。
南部がそう書いてから20余年が過ぎた。それでも実験技術は向上し、2010年代にはヒッグス粒子が発見され、重力波が検出された。一定の成果は出ている。
だが重力波はアインシュタインの一般相対論が1915年に出てから100年ぐらい過ぎての検出である。ヒッグス粒子はヒッグスらがヒッグス機構を考えてから50余年過ぎての発見である。
理論と実験が車の両輪として。・・・・・という描像が崩れている。
既に一人の大天才が紙と鉛筆で新規な理論を生み出す時代は終わって久しい。研究はチームで行うようだ。それで何らかのブレイクスルーが出てくるか。
ブライアン・グリーンのほら話がいつか現実味を帯びるであろうか。
わしらの、つまり人類の自然観は 見たまんま自然観 から始まった。そういう用語はないのだがワタクシは発明した。物理用語では 素朴な自然観 とでも言うかもだ。そして、見たまんま自然観は多くが否定されてきた。科学の発達は 見たまんま自然観 の否定を伴ってきた一面がある。
おそらく、現在のこれこれはこれであろう・・・という見方も 見たまんま自然観の一員である。相対論を知ったら、量子力学を知ったら、それらはもう 見たまんま自然観 になっているのである。相対論で考えるとこうだ、量子力学で考えるとこうだ・・・という見方は 見たまんま自然観と等価なのだ。
わしらの常識となってしまった物理の理論は 見たまんま自然観 になっておるのである。
それを破る。ブレイクスルーだ。それが超ひも理論だ・・・とブライアン・グリーンは言うとったようだけど、成果が出てこない。
手品にタネがあるように自然はタネをたくさん持っている。種明かしをするのが物理学者だ。ワタクシはYoutubeにある手品の種明かしを楽しむ視聴者である。
ただ、手品の種明かしを知ってもワタクシが手品できるわけではない。あれは相当な訓練が必要なのである。
自然は手品のタネをたくさん持っているだろう。出尽くしたわけではない。そこだで。
まずは素粒子の質量について説明したまへ。今の所、クォークにしてもレプトンにしても質量に規則性が見当たらない。世代が増えると質量が大きくなるという観測結果はある。そこの規則性をなんとか探してくだされいのれいのれい。
つーか、自然は手品師か? マジシャンか? マリックみたいなもんか? (笑)
以上で駄文を終わる次第である。m(_ _)m