質量がある。
電荷がある。
スピンがある。
原子に束縛されている。
原子に束縛されていないのもある。
速度vで運動するとλ=h/(m・V) の ド・ブロイ波である。
光子を吸収する(アインシュタインの光電効果の説明)
光子を放出する(ボーアの水素原子モデルでの説明)
相棒の陽電子がおる。
相棒の陽電子とは対生成、対消滅の仲である。
対消滅を無視すると寿命は無限大である。ホンマかね。
個性がない。
大きさはかなり小さい。現代の検出技術では大きさを測定できない。
なので点電荷として扱うが、点電荷は自己エネルギーが発散する。
電子は無限大のエネルギーを持つ・・・計算上は・・・ それ使えない(笑)
古典電磁気の電子の無限大のエネルギーは量子力学でも見事に受け継がれた。
量子電磁気学では電子のエネルギーの無限大を回避する手法が開発された。くりこみ理論。
電子の真の電荷や質量はわからない、観測されるのは真の電荷・質量と周囲のもやもやの合計。
するってーと電子ってなんだ? 簡単だな。電子とは上のように語られるものである。うむうむ。
シュレディンガーは波動関数を電子の質量分布と捉えたらしいが、それだと電子がピンポン玉やスイカぐらいの大きさになってしまうでバカタレ・・・と否定された。
量子力学では電子を点粒子として扱うが波としての性質は波動関数が担う。電子は波動関数でその存在位置を記述できるのである・・・・確率的に・・・・ ほんまかいな。
電子はここにある・・・とは言えず、そこらにある・・・ なので実際にどこにあるかはわからないのだが、どこにあるかはわからないがそこらにあるという事を物理用語では難しく共存しているというのである。それって正直にどこにあるかわからないんだもんって言えって(笑)
日常経験的な感覚、古典物理の捉え方で電子を理解しようとするとドンづまる。古典物理で説明できない現象が出てきたので量子力学が誕生したのであった。ものの考え方を変えねばならぬのである。
そんなのいやだー、つじつま合わせのためにものの考え方を変えるっていやだーーと ダダをこねた人もいる(笑) つじつまが合うってのが理論なんだぜ。
というように考えたのだが、最近は物理の入門書をたくさん読んで知識が増えた気がするのだがワタクシは知恵が増えていないと気づいたのである。雑学は増えても知恵がつかぬ。
それってワタクシはアッタマーが悪いってことかもなーーーー(笑)