2021年10月08日

ノーベル文学賞ってものに価値はあるのか知らないが

https://hochi.news/articles/20211007-OHT1T51251.html?page=1

スウェーデン・アカデミーは7日午後1時(日本時間同午後8時)、2021年のノーベル文学賞をタンザニアの作家アブドゥルラザク・グルナ氏に贈ると発表した。06年から有力候補に挙がり続けている日本の作家・村上春樹さん(72)は、またしても受賞を逃した。英ブックメーカーの前日オッズで首位に立つなど、受賞を本命視されていたが、「16度目の正直」とはならなかった。

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わしゃ文学の価値はわからんのだが、小説は娯楽だと思うておるのですね。なので娯楽小説にノーベル賞って何の意味が? って感じで数十年みている。
こんな賞など廃止したまへよ、と思っている。
国内でも小説は純文学とか娯楽小説とかSF小説とか、テキトーに分類されているようだが、小説というものは本来が娯楽何だよ、エンターテインメントなんだよと思うておる。
もっとも賞を餌にして本を売りたい出版社に釣られるバカという大衆の存在があるのだがな(笑)
本を売りたい出版社にとっては村上春樹が受賞すると、やったぜ!!  なんだろけどなあ。

ここらもバカが馬鹿を騙す構図の典型があるわ(笑) たんぽぽ むぎ。

ノーベル賞で一喜一憂するってのも、瞬間的なわけだがな。ニッポーーン人はヒマつぶしとしてイベントが必要なのだよ。
暇つぶしとしてイベントが必要なのは世界共通、民族問わず。だから世界中どこでも地域で 祭り という行事がある。そこだで。

そう考えると祭りは楽しい方がいい。酒飲めるかもだぜ(笑)

結局は文学の価値とか物理学賞であれば理論の価値とか関係なく行事・イベントとしてそういうものがある。楽しいぜ、鮭飲めるし(笑)

そこだよなあ。オリンピックにしてもイベント・行事として世界規模であるからいいのだ。わしら人類はニャンコや猿さんと違うのはそこにある。ニャンコや猿さんやワンコちゃんやゴキブリちゃんらは生まれてから死ぬまで生きる間に、何かを考える という事がない。たぶん。
ところがオツムがおかしくなったワシラ人類は何かを考えようとする。そして、暇つぶしが必要であると勘づいてきた。考える事が定期的に生ずるためにはイベント・行事が必要だからだ。

そう考えるとわしら人類は暇つぶしのために生きるという事が根底にある。ニャンコやゴキちゃんは食って寝て・食って寝て・・・・。人類は暇だと死んでしまう。何かしないと死んでしまう。
生きるって何?  なんて考えて暇すぎると死んでしまう。まーほんまは死なないで事件起こして暇つぶしをするのだけど。
イベント・行事のすべてがワシラ人類にとっては暇つぶしなのである。
ただ、暇つぶしの意味を理解できない馬鹿はワタクシの高尚な思考についていけないだろう。

昔の偉い人が言うた。人生は死ぬまでの暇つぶしである。これは言葉としての「暇つぶし」を全力で曲解するようなバカ頭のやつには理解できんのである。世の中には人の言うことを全力で曲解するバカ頭の性質を持つ貴重な連中がたまにおるおるおーるず。

しかーーし、人生とは・・・と考える時に、最後にワタクシは梅毒で死んだ哲学者のニーチェの言葉を思い出す。

「これが生というものか、よし、ならば もう一度!!」

ワタクシは感動して感涙の涙をおこぼしなさいましたのでございます。

て、村上春樹の話は?   知らんわ。

posted by toinohni at 13:58| 東京 ☁| Comment(0) | 日記もどき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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