2021年01月24日

素粒子論は ワケワカメ

分かっている人は幸いである。分かっていない人は地道に悩み続けよう。地道に考えよう。そして、理解に達する事がなくとも意義がある人生となろう。 by 近所の学習塾の講師

「クォーク2」 南部・KBB
「現代の物質観とアインシュタインの夢」益川・岩波
「素粒子論の統一理論を目指して」西島・岩波
「エレガントな宇宙」ブライアン・グリーン
手な感じで入門書を読んだのだが、素粒子の分類とか貢献した物理学者の名前とかの知識はたくさん得たものの、何かを理解したのか?  と問われると ワケワカメでして(笑) と答えるしかない。
ボクが予備校で学んだ一つの教訓的な話は、知るということと出来るということは次元が違う、という事である。知るということと理解するということとは次元が違う、という意味でもよかろう。それは数学の講師が言うたのである。
その講師は「出来るということは、最低限でも見ないで書ける事」と言うたのである。ワイのような出来の悪い受験生に対して親切に話した。出来が悪いかせ浪人しているんでね(´・ω・`)

そういうわけなので入門書をいくつか読んだので知識は得た。だが、理解となると。。うむ、ワケワカラン。どっひーーーー。
だいたいな、電子の二重性に関して。電子が粒子の性質があり、波の性質もあり。そんなの図を書いて説明できるか?  ワイはできん。ド・ブロイの物質波の話を高校の物理の時間に聞いて、それはいったいなんなの・・・とボーとしたワタクシである。
だが、λ=h/p という数式から電子の速度に依存する波長という関係は出てくる。静止していたら波長はない。無限大になる。
ここで想像と妄想をする。湖面にボートがあるとしよう。止まっている時は静かだ。だが、動き出すと波が生ずる。ここだ。止まっていると何も起きない。動き出すと何かが生ずる。電子の物質波と共通するではないか。
つまり、自然は静止の場合は面白くないが動き出すとタノシー。そこだね。
ただ、電子の波って何が波を作っているのか・・・知らんけど。それ知っている人はいないらしいぞ(笑) 確率の波とかいうのも・・・そういう人がいるけど、それって何よ(笑)

というわけで、ワイは質量とは何か・・・に興味があって上の本を読んだのだが結果として、分からん・・・ というのが答えである。素粒子に質量をもたらすのはヒッグス場、ヒッグス粒子との相互作用である・・・そのヒッグス粒子が2012年にCERNで発見されて、ビッグスともうひとりはノーベル賞を受賞したのだった。
だが、それって、たしかにWeakボソンに質量を与える仕組みではあるのだとけど、どうしてWの質量がその値になるのか不明なんだで。つまり、定性的な説明に過ぎない。
さらにクォークの質量、レプトンの質量に関してもヒッグスとか、どーたらいうのだが、どうしてそういう値になるのか不明なんですぜ。
ようするに定性的な説明に過ぎない。

陽子の質量は実験で分かってる。陽子の中にクォークが3個ある。だったらクォーク3個の質量が陽子の質量になる・・・と言いたいところだが、そうではないという。なんでじゃゅーーー・

質量にはカレント質量と構成質量があるとかいう。陽子の質量の1/3ぐらいは構成質量という。カレント質量はヒッグス粒子との相互作用だ・・・とかいう。
だんだんと入門書の定性的な説明では納得できなくなる。それが普通だと思う。こういう説明で理解したとか納得したとか思う連中は・・・・ワイとは能の構造が違うであろう。ワイはこんなことで納得するほど優秀な頭脳は持ち合わせていないのである。なむう。

「クォーク2」を読んだら、クォークの質量に規則性は見い出せないと南部は書いておったおった。
なーーんだ、分かってないのか。だったらワイが回答を探しても出てくるわけないなあ(笑)

物理学者はQEDが大成功したので、その路線で素粒子論を研究したかったらしい。QEDは相対論的量子場の理論だがゲージ理論でもある。
ゲージ対称性・・・とかいうの略だが、素粒子はゲージ場の量子である。
素粒子はゲージ場の量子である・・・ 電磁場の量子が光子である。。。 うむうむ。
この路線で素粒子論を進めたい・・・だが、直ぐに問題にぶちあたるのであった。
弱い相互作用を説明するのにWeakボソンが登場。それはゲージ場の理論で扱いたいのだが・・・ゲージ場の量子は質量がゼロでなければならない。だが、実験でWボソンは質量がある。かなり重い。だったらゲージ場の理論ではだめじゃん・・・
ところが物理学者は考えてアイデアをひねり出した。元々はゲージ対称性があって、ようするにWボソンは質量がゼロだったのだ。クォークもレプトンも質量がゼロだったのだ。
しかし、そのゲージ対称性が破れた・・・ ヒッグス機構による・・・ それによって質量を得たと考えた・
素粒子の標準理論というのは1980年頃に出来た。クォークもレプトンも3世代6種類。今では素粒子の標準理論という。模型から理論に昇格したのだが、質量に関しては不明だ。

ボクはビッグバンのような宇宙論は壮大な ほら話 だと思ってる。宇宙背景放射が観測されたし理論的には正しい・・・・かも知れないという観測的証拠はあるのは知っている。
だが、壮大な ほら話 だと思っている。 これは否定するという意味ではない。そういう捉え方をしているというだけの話だ。ホンマでっかね、という感じ。
それと同様に素粒子論のゲージ場の話も 壮大な ほら話 だと思っている。ここらは先端科学を否定するという意図はまったくない。
南部が「クォーク2」で書いていたが、最先端はいつもぼやけているのである、というのが教訓だ。
ワタクシは、これこれは それそれである と言った単純な説明に納得する性格ではないのである。常に疑う。刑事ドラマが好きである。
これこれは これこれである という単調な思考は 田原総一朗のようなテレビコジキが生み出したのであろう。者を考えるなというテレビコジキの特徴である(笑)

で、何の話だっけ?   知らんけど。

posted by toinohni at 16:36| 東京 ☀| Comment(0) | 物理科学雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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