2020年10月02日

ディラック現代物理学講義 ちくま学芸文庫 2008

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  タイトルは少し補足が必要である。ディラックが現代物理学の講義をした・・・のであるが、それは1975年時点の話である。つまり、1975年当時の 現代物理学 なのであるぞ。勘違いしないようにね。

ディラックに関してはボクは伝記を読んだのでいろいろと知っているのだが、書かない(笑) 面倒だし。
ただ、自然が美しい方程式を採用しないはずがないという信念というか信条は全く理解できない。ボクは数式が美しいかどうか感じない。そんなのが分かるほど数学に詳しいわけではない。
この本は文庫本であり、横書きである。ボクは以前から科学モノを縦書きで書く本は絶対に買わないと決めているし、科学モノを縦書きで出すような出版社はなんで横書きにするという決断も出来ないのか理解出来ぬ。そんな出版社の本が売れるわけがない。出版不況というが売れない本づくりをしても売れないだけだよ(笑) なー講談社BB( 最近は横書きも増えてきたが)
   そして、浅学非才!!  不勉強が身に染みる 今日このごろは秋である。ボクは「ちくま学芸文庫」というものを知らなかった。科学モノを小さい文庫本で横書きにしている。気に入った。本屋行って探す。あったら図書館で探して・・・図書館になかったら買う。ほんまでっか。

横書きなのでデイラック方程式が見やすいし、解きやすい(ウソ)。こんなに数式が見やすいのだから、科学モノはこういう横書きにしたまへよ、なー講談社BB( 最近は横書きも増えている)

  1975年にオーストラリア、ニュージランドの大学で講演した内容であるようです。講演であり学生に講義したものではない。そこんとこよろしく。

さてと、この数式の美しさ、方程式の美しさに関してディラックの一つのいわゆる思想、もっと簡単に言うと信念・信条について語るには少しは説明が必要になるので書く。さっか書かないと書いたが書く。さっきのボクは今のボクではない。同時ではないので人は変わる(笑)

ディラックは英国・ブリストル大学で電気工学と数学を学び、卒業したがロクな仕事がないので奨学金を得てケンブリッジで物理・数学の研究に入った。博士号を26歳で取得している。
量子力学は1925年にハイゼンベルクの行列力学(実は行列形式に整理したのはボルンとヨルダンだ)、26年にシュレディンガーの波動力学が出た。少し遅れてディラックはq数を使った量子力学を発表している。そこでは演算子の非可換性にも言及がありディラックの論文を読んだボルンは感度で涙を流した(テキトーですね)というぐらいの傑作である。ただ、ハイゼンベルクはイギリスのウィーラーのところの若いヤツが私の方程式を書き直しているとかで不快感を示したようだ。
ハイゼンベルク、シュレディンガーの量子力学は特殊相対論を満たしていない。当時の物理学者は物理理論は特殊相対論の要請を満たすべしという認識はあった。方程式はローレンツ不変でなければならない、とも言う。それを目指した方程式がクライン・ゴルドン方程式であり26年には出たのだっけな。シュレディンガー方程式を特殊相対論と単に合体した感じのクライン・ゴルドン方程式はある欠点があって沈んだ。一時期、沈んだ。数年後に復活するけど。
ディラックはディラック方程式という有名な方程式を作った。これは電子の理論である。パウリが既にパウリ行列で知られるスピンのアイデアは出している。
なのでシュレディンガーの波動方程式 + パウリのスピン理論という継ぎ足しによって水素原子のスペクトルの説明は可能ではあった。この、継ぎ足し・・・は美しくない。
ディラック方程式は電子のスピンを含む。さらに反粒子を予測した。予言したと本には書いてある。予言能力がある理論は価値が高い・・・らしい。

デイラック方程式から導かれる電子のスピン、さらには反粒子としての陽電子。ただ、この陽電子の着想に至るまでディラックは四苦八苦、悪戦苦闘している。間違った解釈もした。しかし、1931年には理論的に陽電子の存在に自信を持ったのである。特殊相対論と量子論を統合した理論が確かなものであれば陽電子が存在する!!  どっひー。 ワタクシはここで感動して涙ぼろぼろ。
理論から3年ぐらい解釈に四苦八苦・悪戦苦闘したのである。
32年にアンダースンにより陽電子が発見され、ディラックは33年にシュレディンガーとともにノーベル賞を受賞した。授賞式には母親がついていったのだった。こどもか(笑)

ディラックはボーズ粒子は場の量子化で記述できると言った。これに対して、パウリ・ハイゼンベルクは場を量子化すると粒子が現れると言った。ここらは場の理論が卵から孵るところであり、興味深い。場の理論の誕生である。
場の量子論はパウリ・ハイゼンベルク、ディラックらによって構築された。30年以降だな。としよう。
だが、場の理論を電磁気学に応用すると発散という面倒な事が生じた。場の量子論の創業者らは初めは発散の問題はそのうちに解決される・・・と甘く見たようだ。
だが、簡単にはいかぬ。
場の量子論でゲージ理論でもある量子電磁気学(QED)は発散の問題を抱え、困ったジョー。場の量子論は実用にならないダメ理論ではないかと物理学者は捉えた・・・人たちもいたみたいよ。
この発散の問題は朝永振一郎・シュインガー・ファインマンらによって避ける手法が開発された。1949年である。この発散を避ける手法は繰り込み理論と言う。そして、繰り込み理論は精錬されていった。理論はローレンツ不変であるべし、ゲージ不変であるべし、繰り込み可能であるべし、というように。繰り込みが指導原理の一つになったのである。

そして、ディラックだ。ディラックは「繰り込み理論」を醜いと評した。方程式は美しくなければならない。美しい方程式を自然が採用しないはずはない。ディラックの信条だ。
繰り込みはカンニングである。理論としては 不細工でブザマである。ディラックはそう感じていた。
上の本で量子電磁気学の紹介があるが、この理論はもっと画期的な理論で救われるべきであるという趣旨の事を言うとる。もっとマシな理論が出てくるだろう、それはニュートン力学が一般相対論へ飛躍するぐらいのギャップがある。(あくまでもワシの言い方でね)
理論が発散を内蔵したまま、そこを手当しないで対処療法しているようなものは美しくない。

そこだね。そこだよ。そこなんだよ。

ただ、アインシュタインの人生の後半を連想させる。統一理論の夢。成功しなかったが。
そしてアインシュタインは量子力学はもっとマシな理論によって置き換えられるべきだと考えていた。
ディラックは場の量子論はもっとマシな理論で置き換えられるべきだと考えていた。それに彼はトライしチャレンジし、成功しなかった。
天才・ディラックが天才性を発揮したのは彼が25歳から33歳までだったろうと伝記に書いてあった。それ言ったら他の天才的な物理学者だって独創的な研究で成果を上げたのは20代後半から30代ぐらいまでだろ。
天才性を発揮するのは10年もあれば十分だ。一つ、2つ、業績を作れば歴史に残る。
アインシュタインにしてもディラックにしても天才性を発揮する年代を過ぎてから、彼らが若い頃に残した業績を超えるような領域にトライし・チャレンジしている。ここだな。
すでに、天才性は消えている。昔の名前で食うだけだ。
ディラックは60歳代でケンブリッジのルーカス職を辞めてアメリカ・フロリダの三流大学に移った。ケンブリッジの偉い人だからフロリダでも偉い人である。
伝記では信じがたい事を伝記作家に言うとる。
「私の人生は失敗だったんだ」

伝記作家は耳を疑ったという。何が失敗だったのか。伝記でディラックの生い立ちから研究生活、結婚生活等を追うと失敗というのは物理学での業績に関するものではないと思った。

酒のんでダラダラと書いたが、酒が切れた(笑) もうやめる。

ちょ~・ちょ~・天才が現れて、ディラックが言うように場の量子論を根本から改革するような、あるいは古典物理から量子論へと変わったような大変革を期待する。それは、ランドセルを背負った小学生の小さい子供らが近未来で実現するかも知れぬ。ガンバレよ、小学生・・・と近所の小学生に声をかけてはいかん。子供声掛け事件として記事に乗るぞ(笑)

なむううううぅぅぅう。

posted by toinohni at 18:17| 東京 ☀| Comment(0) | 物理科学雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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