2020年09月01日

ワガハイは格闘技ファンであって・・・・30年以上も昔だけど

https://hochi.news/articles/20200828-OHT1T50084.html

40年ぐらい昔に劇画・空手バカ一代というのが大ヒットした。しかし、ワイはその10年ぐらい前にカラテ漫画で「虹を呼ぶ拳」という作品を読んだ。原作が梶原一騎で劇画・つのだじろう、であった。ひ弱な少年が街の空手道場で仲間や先輩らを通して肉体的にも精神的にも成長していく物語であった。前半はな。
それが終わると「空手バカ一代」が始まり、梶原一騎の別の原作の大ヒットもあって劇画・原作者としての梶原一騎は頂点へ向かったのであった。なむぅ。

梶原一騎は「巨人の星」で消える魔球やら打てない魔球やらを考え出し、「愛と誠」では少年少女のロマンスを描き、「あしたのジョー」では感動的なシーンを描き出したのである。
劇画原作者として天才であった。ただ、その他の分野では詳細はゴニョ・ゴニョである。

山崎照朝・・・・名前が戦国時代の武士かよ(笑) いや、笑う場合ではない。極真時代の活躍は省略する。
ホクが山手線を通勤に使っていた時代、五反田駅の近くのビルの看板で「逆真会館」というものを見た。空手・ジムらしい。主催が山崎照朝であった。極真をもじって逆進かよ・・・てへへ。

当時の極真は大分裂の時代であった。創業者の大山倍達が亡くなってから大分裂だ。「空でバカ一代」に登場する極真の初期の猛者・・・ 多くが極真を離れた。極真を離れても極真を名前の一部として使う連中もいれば、まったく使わない連中もいる。

昔、JR武蔵境駅の南口にボーリング場があった頃、極真空手の第一回世界大会優勝者であった佐藤勝昭が極真を離れて佐藤塾という道場を開いていた。佐藤塾は極真を名乗らない。独自の道を進んでいる。今は武蔵境の南口は40年前とは様相が異なる。佐藤塾の道場は立川にあるらしい。
山崎照朝は極真の第一回全日本大会の優勝者である。
山崎にしろ、佐藤にしろ、当時の空手の試合はデブが胸板をど付き合うスタイルではなかった。
デブが胸板を度付き合うスタイルの典型は中村誠・三瓶啓二が典型である。拳による顔面攻撃が禁止されているので成り立つスタイルである。あれだけ接近して胸板をど付き合うスタイルは今でも批判がある。
極真の全日本を制し、世界大会でも上位入賞した東孝は極真を離れて大道塾を開き、防具をつけての手による顔面攻撃も認めている。さらに関節技も認める団体もある。

山崎照朝や佐藤勝昭、さらには東孝らの先輩になる芦原英幸という空手家がいた。大山倍達に命じられて四国・愛媛に出張り、そこで道場を開いた。支部長であったが、ある時点で波紋された。極真の分裂は昔からあったのである。芦原英幸の門下からk-1の石井館長が出ている。石井の正道会館は極真系の空手ではあるが極真を名乗るものではない。
芦原英幸は50歳少しで亡くなった。もう四半世紀前ぐらいになるか。

山崎照朝は天才空手家である。天才の要素は単に強いというだけではない。これはプロ格闘技に限らず、プロ野球でもそうだが、怪我・故障が少ないというのが天才が持つ一つの特徴である。山崎照朝の空手は美しい。デブが胸板を度付き合う中村誠・三瓶啓二らの組み手とは違う。
天才のもうひとつの要素は人格である。これはもうどうしようもない素質である。

現在は格闘技系は人気がないようだ。プロレスの実況もない。時代が望むものが流行ればそれでいいのである。それがプロレス等の格闘技ではない、それだけだ。

というわけで、実はワガハイは何をテーマに書いているのか知らん。書き出した頃と今とでは酔っ払いの程度が違うのである。10分前のボクは今のボクではない。人は変わるのである。

どーよ・ なにがよ。知るかよ。

一つ、蛇足。ワイは昔、JR武蔵境駅の南口のボーリング場の入り口近くにあった掘っ立て小屋の佐藤塾の道場を見に行ったことがある。そこで初めて黒帯どおしの肉弾戦を見たのである。自由組みててか言うものである。見ていると、バチ、バチ、という肉弾戦の音が聞こえて、ちょ~・怖かったのワタシ。
パンチで顔面攻撃はしない・・・・とはいうものの、パンチで腹をドブっ、打つ。胸板をバチッと打つ。そりゃ、迫力満点で見ていて、こわーーーくなって帰った次第である。
顔面攻撃がないから、あれだけ接近して胸板を度付き合う・・・・というのは一つは批判であるが、一つは肉弾戦をうまく表現している。拳で人の肉体を叩く、殴る、という事がどういうことなのか、が実感できる。その感覚は大事だ。そいつらが間違って拳で人の顔面を殴ったら死んでまうわな。

というわけで、このルールの良し悪しはともかく、ワイは意味はあると実感したのが50年ぐらい前だ。ワイは気が弱いのでそういうのやらんけどな(笑)

そこで、天才・山崎照朝だ。正しくいうと、天才だった山崎照朝だ。今は、ただの高齢者だ。それはだれだって(笑) そうなる。

梶原一騎が亡くなって30年ぐらいになるのか、忘れた。真樹日佐夫という梶原一騎の実弟もとっくに亡くなっている。昔の大山道場の高弟も多くが鬼籍に入ったろう。
格闘マシーン・黒澤浩樹も50歳少しで亡くなった。熊殺し・ウィリーも60後半で亡くなっている。街中で極真の道場の看板を見るが、繁栄しているのかどうか知らない。
空手というか格闘技そのものが人気がない時代のような気がする。
むかし、昔、空手に夢を見た若者がいまは高齢者である。山崎照朝が少年の頃に見た夢とは、どのようなものであったか。それを知りたいとは思わない。ボクは他人がどのような夢を持とうが興味はない。ただ、少年はなんというか、夢を持って生きるほうがいいなあと思う。
少年よ、大志を抱け・・・というような大げさなものでなくても良い。

そして、夢を持って生きる・・・ほうがいいのは、少年に限らない。高齢者も中高年も・・・・当然、ワタクシも夢を持って生きるほうがよい。

そうでなければ毎日を消費し、寿命がくるまで生きるだけだ。そこに、感動はない。

かつて、若い頃の丸山健二は「背骨が震えるような感動を経験したいがために生きる」という趣旨の発言をした。
若い頃の感受性が豊かな頃は感動はたくさん経験する。だが、年を取り、つるっぱげになって物事に対する興味が失せると感動も減る。酒飲むと涙ボロボロでるけどな。

そこだぜ。感動を得るのは若者の特権ではない。ワイも感動シちゃるぜ。

で、山崎照朝の話はどこに行った?   知るかよ、わっはっは。

posted by toinohni at 18:38| 東京 ☁| Comment(0) | 日記もどき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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