2020年08月24日

物理と対称性 坂東 昌子 丸善 1996年 テキトーな事書いとる なあにぃ。

一般向けの入門書ってたまにテキトーな事を書くものだな、と最近気づいた。これはワイがこの手の入門書をたくさん読んできたから分かるのである。どーよ。 何がよ。

著者は京大の湯川門下生か。1935年に湯川が中間子論を提案した際の話がある。その前フリでディラックが陽電子という新しい粒子の存在に確信が持てなかった話をしている。ディラックは28年相対論的量子力学を発表しているが直ちに陽電子の存在を予言したのではない。ディラック方程式の解に四苦八苦した時期があり、陽電子の存在を確信したのは1931年だ。ディラックさえも新粒子の着想に戸惑ったのだが、ワシラの湯川先生は1935年に中間子論を勇気をもって発表したのである。

そして、それは2年後に見つかった。と書いてある。

嘘っぱちである。1935年に湯川が中間子論を発表したのは正しい。2年後に中間子が見つかったというのは嘘っぱちですぜ、坂東 昌子センセ(笑)
湯川先生を尊敬するあまり、インチキ書きましたか(笑)

2年後に発見されたのは湯川中間子ではなく、μ粒子だ。質量が湯川中間子に似ていたので発見当時は湯川中間子であると物理学者は早合点した。だが、その後の調査で湯川中間子ではないと判明したのだった。湯川中間子は46年か、バイオンとして発見されたのである。

この手の一般向けの本はこのような間違いが多々ある。それはワイがこの手の本をたくさん読んでいるから分かるのである。どーよ。なにがよ。

本によってはゲルマン、ツヴァイクがクォーク仮説を提案したのが1961年であると書いてあったり、1964年であると書いてあったりする。まー別にいいがな、3,4年の違いなんて(笑)

他に伝記ものも おいおい、って感じの記述があってたのしーである。

ファインマンの経路積分に関してだが、ディラックが経路積分のヒントになる論文はだいぶ先に出している。
ディラックの伝記では、ファインマンは経路積分についてディラックが発明者だ、とかチョーチン記事を書いてある。
ところが朝永振一郎著作集では、朝永がファインマンに経路積分のヒントはディラックの論文だったのかと問うと、ディラックは言っただけだ、オレはキチンと計算して定式化したんだ、って言うとる。
本によって違いが出るぞ(笑)

まあここらは人間味があってなかなか楽しいである。ただ、誰が何年になになにを発見したとか提案したとかいうのは単なる事実であって、そこ意図的に間違えちゃあかんよ(笑)

というわけで今、ヒッグス粒子に関する一般向けの本を数冊読んでいる。レオンレーダーマンの。こいつな、縦書きの本であり文章だらけで図が少なくて、おら嫌い!!  
横書きにして図をたくさん入れて写真も入れて、横書きだから数式が見やすくて英単語も見やすくて良い・・・・とワガハイは思うのだが出版社が異常に縦書きにこだわるのはなんでだろう。
縦書きでは英単語が読みにくい。数式が読みにくい、・・・というの分かっているはずなのに。

というわけで、ワイは科学モノの本が縦書きの場合には絶対に買わんもんね。坂東 昌子の本は90年代でしたので、そのころはワイは我慢していたのだ。もう我慢できん。買うか、バカタレ、とっとと横書きにしやがり・なされくださいm(__)m

posted by toinohni at 11:31| 東京 ☁| Comment(0) | 物理科学雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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