2020年07月19日

ワイが妄想を書くである

50-60年代にかけて数百ものハドロンが発見された。それはバリオンとメソンに分類される。陽子・中性子はバリオンである。中間子はメソンである。
それらを説明するために、60年代前半にゲルマンやツヴァイクはより基本的な粒子としてクォークを考えた。もっともクォーク仮説が出る前にいろいろと仮説は出て消え、出て消え。
そして、クォーク理論は発展した。その延長上で素粒子の標準模型ができて、今では標準理論に昇格している。
ただ、数百ものハドロンは寿命は ちょ~短い。10のマイナス20乗とか、マイナス10乗とか・・・・である。

ここで、ワイは疑問が出た。ハドロンは加速器によって実験的に作り出されたものであり、自然界に存在するものではないのではないか。そうだとすると、それ説明するためにクォークを考え出し、対称性等の理論を発展させ、・・・というのは物理学者のアーーソブってものではないのか。

単純に言うと人工的に作り出した粒子に対して物理学者がわーわーと遊んでいる・・・という構図だ。ワイはそう思うのである。

ハドロンが自然界にあるというのであれば、どこにあるか示せ。そういうとビッグバンとかの話を持ち出してかわそうとする。
どうも物理学者がアーーソブってことを続けている気がしている。

基礎物理は大事だ、重要だという連中がいる。だが、素粒子の研究手法を含めて、本当にそこは基礎物理なのか、基礎科学なのか。

ワシはワケワカメ。物理学者のたのしーアーーソブって感じに見える。楽しいのは連中だけだろ(笑)

というわけで、ワイのオツムのレベルでは、ここらの批判的な事を書くだけの土壌がなく、単に、バーカ、アホタリーノ とか喚くだけなので辞めとく。

少し、哲学の分野から現代科学の特に素粒子論を見た場合の視点を探ってみたい。
僕は素粒子論の入門書を読んでだが、いまいち、違和感がある。これは物理学者が単に遊んでいるだけだ(笑) 楽しいのは連中だけであり、ワシではないのだ。
ものすごく方向違いなところに進んでいると感じていると妄想するのである。

もちろん、人が考えることなど自然はいろいろとひっくり返して来たという経験則もある。

とにかくな、カネ使うな・・・ オレにくれ・・・と言いたいのである。なむぅ・・・

posted by toinohni at 14:11| 東京 ☀| Comment(0) | 物理科学雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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