2020年05月24日

素粒子は ワケワカメ

素粒子の入門書を読むと量子力学の話もある。光の二重性、電子の二重性。1925,6年に量子力学が誕生し、その数年後には相対論的量子力学が誕生した。その次に場の量子論が登場だ。

ここらは欠かすことができない。なぜならばディラックの相対論的量子力学から反物質というアイデアが出てきたからだ。電子の反物質として陽電子。自然は物質<->反物質のペアがあるらしい。
当然、それは素粒子にもある。素粒子<->反素粒子。クォーク<->反クォーク。
そして、場の量子論で粒子間の作用を説明する時にチカラを媒介する粒子の交換という表現が出てくる。
湯川の中間子は核子どおしのチカラを中間子を交換する事で説明した。35年に中間子は発見されてなかったが、核子間のチカラを説明するためには・・・量子力学や特殊相対論を信頼するならば・・・そのまとめとしての場の量子論を信頼するならば、未発見の中間子が存在する、それの質量は電子の200倍である・・・と湯川は主張したわけだ。
量子力学、相対論的量子力学、場の量子論が素粒子論を駆動することになる。後にゲージ場の理論が加わる。場の量子論とゲージ場の理論が素粒子論の屋台骨であるといえる。
入門書には対称性の話も出てくる。SU(3)とかの記号も登場する。

だが、そもそもクォークはどうして導入されたのか。それは、50年代に数百もの素粒子が発見されたからである。湯川は中間子は一つであると考えていたようだが、実は中間子は数百もあるのである。核子間のチカラの説明も単に湯川中間子一種類を交換するという素朴な説明はもうない。
数百もの新粒子はハドロンであり、それはバリオンとメソンに分類される。ハドロンとは別に数は少ないがレプトンもある。
そのうちバリオン、メソンを説明するために さらに基本的な粒子として クォークが考案された。ハドロンはクォークの組み合わせで説明できる・・・という考え型だ。
しかし、クォークは単独で検出されたことはない。だが、フレーバー、質量、電荷、スピン、カラー荷といった属性が与えられている。
フレーバーはu,d,sなどの種類、カラー荷はR,G,Bであり量子色力学による。
単体で検出できないクォークにこのようなパラメータが与えられ・・・それは実存するものなのか、単に説明上の数学的記号ではないのか・。。。という疑問はあろう。
そして、おあつらえ向きに・・・というのか、クォークは単体で検出できないという理論も出てきた。いや、膨大なエネルギーがあれば単体も可能だが、実験装置で実現できるエネルギーではないのだ。
クォークが単体で存在する・・・世界は宇宙論で登場する。ビッグバンだ。初め、高エネルギーの状態であり、そこにはクォークが単体で飛び回っているとする。エネルギーがちょ~高いのだ。高すぎてクォークもバラバラになっている。
そこから膨張が始まりエネルギーが下がるとクォークが複合粒子、つまりハドロンを作る。ハドロンで安定しているのは陽子、中性子だ。膨張が進みエネルギーが下がると陽子が電子を捕獲して水素原子ができる、・・・・・とかの話が進む。そして、ビッグバン直後に生成されるのは圧倒的に水素、ヘリウムである事が理論的に示される。

てな話は何冊かの入門書の受け売りである。そして、私の疑問は他にある。

加速器実験でどのようにしてバリオンが出来るのか?   そこだ。陽子を加速してベリリウムにぶつける。すると〇〇というバリオンが検出された・・・という時に、その〇〇はどのようにして出てきたのか?  どこから湧いてきたのか?  どこかに種か隠されていたのか? 
電子と陽電子を高エネルギーにしてぶつける実験からJ/ψ粒子が発見された・・・・という場合に、それはどのようにして発見となったのか。陽電子の発見のように霧箱だか泡箱だかに飛跡が残っていたわけではなかろう。
このJ/ψl粒子は発見されて、それが何なのか確定できるまで2年ぐらい要したらしい。
実験装置で衝突させて・・・・デジカメの写真の中に飛跡が写っていた・・・という単純な話はなさそうである。
そこらは励起された粒子の共鳴として観測される、という説明がある。この共鳴というのも私は理解してない。ただ、こういう話らしい、というのは知った。
粒子が3つあって、mA,mB,mCとする。mAとmBからmCが生成されたとする。これらは質量を現すとしよう。

mA + mB > mC          これを束縛状態という。
mA + mB < mC           これを共鳴状態という。
陽子や中性子が原子核を作る場合は束縛状態である。
    (「素粒子の統一理論を求めて」、西島和彦 岩波 1900年代の本だとうろ覚え)
共鳴状態では足したものよりも大きなエネルギーになる。なんで?  知るかよ、である。

そして、共鳴状態のmCをデジカメ等で撮る事はできない。ここらは実験データの解析の結果である。うーーむ。
すでに写真乾板に何か写る・・・・という手法は素朴な手法なのだなと知る。

まーようするに、どうして電子と陽電子をぶつけると、あるエネルギーで共鳴現象が起きるが、それはどうしてだ?   と聞いても、実験はそういうものを見つけるためにやるのであって、そのエネルギーでどうして共鳴が起きるのかは・・・しらんもんね、わしら。と言っているように思えるのである。
入門書等を読むといろいろと知ることはできる。雑学としての知識は増えた。だが同時に疑問も増えていくのである。
どうやら、ここらの物理は大量のデータの解析次第である、と妄想するわたしである。

なむぅ なむぅな日々は続く。

posted by toinohni at 09:17| 東京 ☀| Comment(0) | 物理科学雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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