2020年03月21日

プロ野球選手の 華がある とはどういうことか・。・うーーむ、知らん

野村のジーさんは昔の昔、現役の頃は「王や長嶋はひまわり、オレは月見草」と正直で正しい認識を示したのだった。

しかし、野村のジーさんは引退後に監督として輝いた。監督としての成績は王や長嶋を超え、さらに人気も王や長嶋に並んだ、超えたかも知れない。

だが、現役時代に華があったか・・・・となると拙者はなかったと思う。それはパ・リーグ自体の問題でもあった。人気商売の、観客がいて成り立つはずのプロ野球でパ・リーグは集客力を上げる工夫が足りなかったという気がする次第である。なんちて。

で、問題はプロ野球で華がある選手とはどういったものか。それは見る側が決める。朕が昔、野村克也が現役のころにプロ野球の記事を読んで、パ・リーグには興味がなかったのである。
それはセ・リーグには長嶋、王という大人気選手がいた。パ・リーグにはいなかった。成績を比べるとパ・リーグに素晴らしい選手はたくさんいた。だが、それが人気につながらなかった。
ここだな。

わかりやすいので巨人でいう。中畑は華があった。原も鼻があって、しかも華があった。江川も華があった。サダボーも華があった。だが、西本は華がなかった・・・・ ごめんね、比較としてわかりやすいので。西本の成績等を考えると素晴らしい投手である事は分かっている。
華とは何か?  花壇にあるのは草木であり草木は花が咲くものもある。今は桜が咲く時期である。
その花ではない。

誰もが注目する要素がある・・・ それが華の一因だ。。。テキトー。

つまり、ある意味では見世物であるプロ野球では、見世物だから、人が見たいというものが大事であって・・・。そこだね。

西武が常勝・西武を築いた四半世紀ぐらい昔は、勝っても勝っても人気は伸びず。理由は単純で、人が見たいという試合をしなかったからだ。広岡・森は監督の仕事は勝つことであった。そして、それは正しい。球団の人気を上げるのは球団幹部・経営陣の仕事である。そこが、西武はだめだったんだ。堤というカリスマの独裁だったからなー テキトー

選手に華がある・・・・ それは素晴らしい。プロ野球の選手として武器の一つだ。
では、ない場合は どないすんじゃー?
地道に成績を残す。野村克也という先例がある。晩節を汚すという言葉があるが、野村克也は真逆であり、晩節にちょ~輝いた。

初めから華がある選手は甲子園で大活躍して知名度を上げた選手に限られる。多くはそうではない。甲子園で知名度を上げた選手らがプロでも大成するわけではない。経験則だ。

華があろうが、なかろうが 地道に努力するというのが基本である。そして、どのような分野であっても、地道に努力する、ということをしない連中は多い。そして、落ちこぼれて ひねて 何でも人のせいにしようとするバカになる(笑)

韓国や共産諸国が何事も責任転嫁する原因は心理としてはそこにある。地道に努力するという姿勢にかけているのである(笑) だって、ひとのせいにすると らく だもんよー(笑)稲 草

posted by toinohni at 15:34| 東京 ☀| Comment(0) | 日記もどき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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