物理の分野では天才といえばアインシュタイン、ディラック、・・・を連想する。それは業績に依る。業績は素晴らしいが量子力学のコペンハーゲンの親分、ボーアは天才と形容される事は少ない。それはメディアの好みなのかも知れない。
量子力学に貢献した物理学者は拙者から見ると天才連中である。ボーア、ド・ブロイ、シュレディンガー、パウリ、ヨルダン、ボルン、ゾンマーフェルト、アインシュタイン、エーレンフェスト、・・・・・と並ぶ。
アインシュタインは相対論で知られているが量子論の創業期のメンバーでもある。
で、天才とはなんだろな・・・と考えた時に天賦の才・・・という単純すぎる話は違うなと思った次第である。
もちろん、神童がそのまま天才に成長したかのようなパウリのような物理学者はいる。パウリは高校の時に授業がつまらないので自分でアインシュタインの一般相対論の論文を読んでいたそうな。20歳の時に一般相対論の解説を書いて注目されている。ただ、性格は悪かったらしい(笑)
アインシュタインは天才物理学者・・・と言われるが大学は第一志望の大学に入れず。入った大学では成績が悪くて卒業後に研究者として大学に残ることができず。学生時代に同級生の女と結婚して卒業後は妻子を食わせねばならず、家庭教師のバイトかと要するに苦労したらしいよ。スイスの特許庁みたいな行政職に就職したのは大学の同級生のはからいとか。
ディラックは大学は英国のプリストルとか。電気工学科で学んだが卒業してろくな就職先がないのでケンブリッジには入り数学を勉強し、それから物理を勉強とかで。
ディラックに関しては量子力学の入門書では、天才・ディラックと表現される。パウリは怪物と書かれる。怖い顔していたからか(笑)
そう、ここで天才ってなんだろな、と。当然だが決めるのは業績・実績である。子供はみんな天才だ・・・というのはバカの妄想であって、子供だましのウケ狙いの幼稚な発想に過ぎない。恥ずかしくて、そういう事は言えないのが普通だが、バカは恥ずかしくないから言う。
物理の分野を離れると天才ってなんだろな、というのは分かりやすい見方はある。
昔、40年ぐらい昔、大相撲に輪島という横綱がいた。天才・輪島とスポーツ誌は書いた。ライバルは怪物・北の湖である。
この天才・輪島は左下手を取る、そして右から絞って攻めて勝つ。このスタイルを黄金の左とスポーツ紙は書いた。考えてもみろ。輪島が左下手を取る、相手は右の上手を取る。下手と上手で有利なのは上手だ・・・・と普通は考える。
だが、相手が怪物・北の湖でも輪島が左下手を取ると北の湖が右の上手を取り有利なはずなのに北の海は転がされた。ここに、天才・輪島の技量がある。
この輪島のスタイルを他の力士が真似しても成功しない。未だにそういうスタイルの強い力士は出てこない。他人に真似ができない。そこに天才という形容が成り立つ。
しかし切磋琢磨の世界だ。怪物・北の湖はやがて輪島に勝つようになる。年齢的に上の輪島の衰えがあったのだ。持久戦に持ち込んで北の海は輪島に勝てるようになった。
天才を天賦の才と言うならば北の湖こそ天才である。体躯、運動神経ともに素晴らしい。しかし、北の湖を天才・北の湖と形容する事はない。怪物・北の湖である。ある意味、天才を凌駕したのだろうと思う。
輪島も北の海も故人である。時代はとっとと流れたのである。ワシも老人になった。
王の一本足を真似ると誰でもホームランが打てる様になる・・・わけがない。
落合の打法を真似ると誰もが三冠王取れるわけではない。
プロ野球の投手の投球フォームはみんな違う。
ここらだな。
天才とは・・・・ 自分の体躯を最大限に活用する術を身に着けた奴だ、と言えば半分ぐらいはあたっているかもな。
繰り返すが、子供はみんな天才だという奴は脳ミソが腐っていると確信している。バカとかアホとかのレベルではない(笑)