混乱の振幅を広げよ、とランボーは言った、と中上健次はエッセイで書いた、とワシは昔のブログで書いた、と拙者はさっき思い出した次第である。
ワテは国立大学工学部電子工学科国文学研究室という珍しい出身なのである。テキトーである。要するに学生の時は中上健次とか丸山健二とかの純文学が好きだった。自慢ではないがほとんどの作品を読んだ次第である。卒業してからは彼らの新刊が出れば買ったのである。就職してカネがあったからである。今は貧乏・金無しであり豆腐は業務スーパーの28円のを買うのである。うるせーである。
さてと、実はランボーって誰よ? しらんもんね、わし。だが、バット、But. 知る必要はない。ワタクシは「混乱の振幅を広げよ」という言葉に打たれたのである。それでいいのである。ランボーがどのような趣旨で言うたのか、知ったこっちゃないのである。当然である。言葉は解説があって意味がわかるようなものは、心に衝撃は及ばないのである。
混乱の振幅を広げよ・・・・テキトーに拙者流に解釈すれば良い。他の人達も自分流に解釈すれば良い。そこにこそ言葉の力が宿るのである。解説があって初めて、あーそういうことか、という話では全く意味はない。言葉の力を感じ取る事、それがあれば良い。ない人たちに解説しても意味はない。バカには何を言ってもわからない。感受性とか感性とかは説明して分かるモノデハニャンコ。
ただ、バカにも分かりやすいように言うと、混乱の振幅を広げよ、という言葉は極端にざっくりと言うと、萎縮するな、という事である。ワタクシの解釈の一つはそこにある。
萎縮刷るなという事は、世の中、丸く丸く、長いものには巻かれて強いものに抗うことなく、丸く丸く生きよ!! という意味ではない。
何を意味するか、・・・詳細は知らんもんね、オラ。さっき、テキトーに書きかけただけなんでしして(笑)
筆者は気づいた。混乱の振幅を常と思えば不服無し!! どーよ。徳川家康依頼400年か500年か知らないが、教訓であろう。
常に社会は混乱の振幅がある。それが普通なんだもんねー、って事だ。
別の意味で言う。自然は静止がない。ありえない。絶対零度では物質は静止だ・・・ありえない。量子力学では絶対零度でも粒子は振動する。
さらに別の視点で言えば絶対零度の冷蔵庫が地球にあった場合に、それは静止していない。地球が太陽を回る軌道にあるのだから静止はありえない。
文学者も物理学者も究極は同じ事を言う。絶対静止はありえない。
混乱の振幅を常と思えば不満なし!! これだ。
えーと、小学生に分かるように言うとね、おっちゃんはね、生きているって事はいろいろな問題に直面する事だって思うの。学校帰りに変なオジサンが声かけて来て、写真を撮らせて、とか言うたら、バーーカ、このスケベオヤジといってキンキンを蹴り上げて走り去るといいよ。
学級でいじめられているって感じたら、とっとと担任に言うとか校長に言うとか、誰かに言うって勇気が大事なんだよ。勇気なんだ。勇気があれば世の中はなんとかなる。
ワテは、その勇気がないので、引きこもり、になっているわけだが(笑) なんだよ、さっきの話はよ。
知るかよ、
えへと、一応、この書き込みの趣旨を書く。最近のSeesaa Blogのアクセス解析を見ているとPVが増える時もあれば激減する時もある。そりゃ、ワッシが書かないと激減(笑)
つまり、アクセス数の殆どは、ワテのアクセスなんやでーーー。
というわけで、仮にだが、クローラーによるアクセスではなくて人がアクセスした場合に、ひょっとして文章を読むという奇特な人物がいるかも知れぬ・・いねーーてば。
そういう場合に、ここだ。
ここまで読んで、感想があるといいなあ。
拍子抜けした、ムカッパラがたった。二度とアクセスするかバカタレ、とかさ。
とはいうものの、混乱の振幅を広げよ・・・・これはワタクシとしてはニーチェを連想する言葉なのである。
ニーチェは梅毒で死んだらしいけど(笑)