2019年12月04日

昔の格闘技系の人たちの本で連想

昔、極真空手が大人気になったころ、極真の有段者で大会上位入賞者が何人か本を出したの覚えている。人気があるから本を出すと売れるし極真の宣伝にもなる。出版社と極真に共にメリットがあるわけだが、それはともかく読み流して感動した。わては単純なのである。
努力する、その姿勢にオラは感動したのである。ワタクシは運動系で努力したくはないのである。だってシンドイのである。

その空手家たちが書いた本を読んだ感想と似たような感想を登美丘高校ダンスの動画を見ていて得たのである。そこには、ワタクシはそんなシンドイことは絶対にやらんのだ、だが、おまいらは好きならやりたまへ、という意識がある・・・だけではない。

なんだか目標にムカッて一所懸命な姿勢というものは感動するのである。

むかし、キャンディーズの田中好子がCMで働く人の汗が好き、ってのがあった気がするが頑張る姿勢は感動的である。

そこだな。

では、自らが感動的に生きたらえーがな。それだな。他人の生き様で感動を得るってことよりも、自分が感動的に生きたら100兆倍ぐらい感動するで。。。とはならないのだ。
自分がせっせと、一所懸命に何かをやっている場合には、ああ、オレは一所懸命にやっている、素晴らしいぞ、って感動する余裕はないのである。

空手家はせっせと努力しないと力量が落ちる。若手が台頭してくる。弟子は師匠を超えよ。後輩は先輩を超えよ。子は親を超えよ。人類はそうやって長い歴史を築いてきたのである。てきとー。

かと言って、先輩は後輩に追い抜かれてたまるか、師匠は弟子に追い抜かれてたまるか、親は子に追い抜かれてたまるか、そこに切磋琢磨がある。

そこだな。そこに厳しいのだけど美しさがあり感動があり。

後輩に抜かれて、てへてへ、って言うとる連中に感動はない。

というわけで何をいいたいかというと、一生懸命になにがしかに頑張っている連中がオイラは少しだけ裏山が崩壊なのだ。うらやましいのだ。

いや、オレだって一生懸麺に働いたことはある。毎日、終電帰りだった。あれは一生懸命だったと言えるが感動はなかった。思い返しても感動はない。バカげでいる、と思っている。

ようするに、酒が切れたのだ。買い出しに行こうっと。エネルギーが切れた(笑)

posted by toinohni at 14:18| 東京 ☀| Comment(0) | 日記もどき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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