ん? このシーンは、この経験は、以前にあったぞ・・・・という感覚。デジャブー、既視感。
人は似たようなことをするから既視感は実は以前の経験がベースである、という気はする。で、そういう話をしようというのではない。
素粒子を点として扱うと発散、無限大が生ずる。ただ、電子の自己エネルギーが発散することは素粒子論と関係なく電磁気学で1900年頃にはローレンツが指摘していたことである。
電子が電場を作る。その電場のエネルギーを電子を含む空間で計算すると発散する。電場が原点で発散するのでしゃーない。
点と聞いたら発散・無限大を連想しよう。これはもともとはニュートン力学の質点を考えれば理解は早い。太陽と地球の引力を計算するのに太陽の重心、地球の重心に質量があるとして計算して良い。重心に質量が集中していると考えて計算して良いという話であって実際の太陽は経常がり、重心でないところにも質量はある。質点というのは計算の便宜上の話である。
だが、電子になると形状が不明であり点として扱うしかなかった。
さて、点で問題ならば一次元のヒモにしようか、それとも球にしようか、と考える。
デブじゃーである。電子を半径aの球と考え、質量と電荷を与え、電磁気学の理論として発散が生じない理論を作った物理学者がいる。非線形な電磁気学の理論になるとかいう。
だが、量子力学へつながらない。発散も無限大も生じないが量子化ができない。
太田浩一の電磁気学に解説があった気がする。
古典電磁気学には困難があるとファインマンは学生に説いた。電子が電場を作る、その電場が全空間で隻布線すると発散するという困りものだ。
これを解消するためにディラックを初め数人の物理学者が仮説を提案した。だが、全部消えたとファインマンは書いている。
この話はどっかで聞いたな。。。。。とかの。あれれ、これはどっかで聞いた、見た、読んだ、気がするとか。そういうのは日常においてよくあるものではある。気がする次第である。なのだーー。