正しくは「學而時習之、不亦説乎」(学んで時にこれを習う、亦説(またよろこ)しからずや)
ワタクシの「ときにまなんでこれをならう」ですと、時々 学んでこれを学ぶってかね・・・・
時々、学ぶのって楽しー!! って意味になってしまう。それはワタクシとしては合っている。ときどき 学ぶって たのしーーー どや。
しかーし、「学んで時にこれを習う、亦説(またよろこ)しからずや」なのであ~る。時々、学ぶのではないので~す。時々、復習するのでーす。
学んでから、時々、復習するとたのしー!! って孔子はまったくあったりまえだのクラッカー!! なんもありがたい事を言うとらんがなーーーー(笑)
学んだことを折に触れて復習する、これは何と楽しいことではないか。なにしろ時が過ぎればスッカラリンコンと忘れるからなあ。記憶の定着のためにも時々 復習しませう。
子曰く・・・ べつにありがたいことを言うとるわけではなくて当然の事を言うとる。ま~当然できないことを言うたらこまーーーる。
ところで孔子は古代中国の賢人である。たぶん。孔子やら孟子やら老子やら陽子やら光子やら量子やら、当時の賢人は️子と呼ばれたようである。すると恵子、亜希子、良子、明子・・・こいつらは賢人なのかあぁぁぁぁ!! なにを!
というわけで、時々 学ぶのではなく、学んでから時々 復習しようって話で あったりまえだの・・・ いじょ。