https://hochi.news/articles/20240824-OHT1T51137.html?page=1
あと3勝で日米通算200勝である。現役の投手がそういう目的のために頑張るかどうかは知らないが、ワタクシは田中のま~と斎藤佑樹の夏の甲子園での熱闘を見たのである。テレビで。
以降の田中のま~と斎藤佑樹の経緯は周知であろう。なので書かないが、斎藤佑樹は今でも斎藤佑樹で通じる。プロ野球の投手としては大成しなかつたが記憶に残った。こういうのも珍しい。
かつて半世紀以上も昔だが太田幸司がいた。決勝戦で勝敗つかず。翌日に持ち越され、負けた。時代のヒーローになった。ワタクシは小学校の6年だったか。
太田幸司は名前が残った。プロ入りしたのだが100勝投手にもなれず。一軍で活躍した時代はあったが、つねに太田幸司は甲子園の太田幸司としてみなされた。知らんけど。
太田幸司の次に甲子園で知名度を上げたのはバンビくんだったがワタクシは忘れた。プロ野球に進んでいない。
甲子園での優勝投手となると注目される。報徳の金村を思い出す。エースで4番。だが、金村は投手としての自分の力量が一線級ではないと経験によって悟ったようだ。大府高校の槇原、早実の荒木などを見て悟ったらしい。
金村は甲子園優秀投手、エースで4番。野球の素質の塊である。だが、打者としてプロ入りして大成しなかった。趣味が遊びだからであろう(笑) ただ素質は凄まじい。運動能力の素質だけでなく、しゃべりの素質は天下一品。今では野球漫談として一線級である。
といわけで田中のま~ 3勝で200勝という区切りだが、そこは目標ではなろう。通過点だ。元・中日の昌は50歳まで一軍で投げた。田中のま~は今後10年間で50勝以上だ。
知らんけど
そういう感じで、そろそろというか、すでにというか、田中のま~は限界だよなあ・・・というのを打破してもらいたい。
村田兆治とかなね。いたよね。肘手術して、もう限界か・・・それが復活したのだ。
そんなこというと、肘手術しても復活しなかったのも多々いるので、ここはなあ。
こうすれば必ずこうなるという単純な図式は成り立たないのが現実なのでね。そだねえ。
ワタクシは里田まい・・・昔のバラエティ番組で おバカキャラで活躍していたの覚えているので、あれは おバカ・キャラなのであって本人は仕事真っ当な女性だと思っているのであって、元気で子育てしつつ旦那の応援もしつつ、頑張れえぇぇと思う時代である。どや
今の日本のプロ野球で200勝って可能か? 知らん。昔の昔の昔の、先発完投というスタイルが消えて久しい。中継ぎ・抑えという分業になっている。そういう中で200勝というのは意味が・・あるのはわかるが、達成できまい。
なので中継ぎや抑えも賞が増設されているわけだが。
しかーーし、なんというか、ワタクシの大好きなのは先発完投の試合なのでね。これが投手を4,5人も使っての試合だと・・・ つーか、試合を観に行かん(笑)
そこだな。観客からすれば継投も 見応え があろう。何人もの投手を見るのだし。うー。
よーーし。そのうち西武ドームに行って・・・