この本とは関係なくワタクシの量子力学の思ひではボロボロである。半世紀ぐらい前に、いや、40年ぐらい前かな、待て待て、30年ぐらい前かな。ま、いいや。
ワタクシは某国立大学・工学部・電子工学科の学生であーーた。量子力学は選択科目であーーた。他に固体物理学も選択科目であーーた。他に複素関数論も選択科目であーた。
その量子力学の授業に出た1回め。講師は黒板に数式を書きながら何か話しているのだが、ワタクシはいったいこれから何をしようというのかも分からず。数式をノートに書き写しながらもワケワカメ。まず、何を学ぶのかもわからず。
2回めの授業・・・熟睡であーーた(笑) ま~熟睡すると目が覚めた時は気分がいい。ワケワカラン量子力学の授業ではあったが、目が覚めたらスッキリ。そして3回めから放棄。だって選択だし(笑)
そういうわけでワタクシは量子力学って何かということさえ分からぬままであーた。講談社BBの一般向けの本を読んで、あー、なんとなくだが、そういうものか、でも よーわからん。。
でもね、必須科目ではなかったのでワタクシは4年でとっとと卒業したのだよよん。どや。卒業に必要な最低の単位数でもって卒業する、それが最も効率が良いのである。どや。級友にはたくさんの科目を履修して全部 優判定である・・を目指すツワモノもいたがな。そういう勉強好きは友達じゃないもん(笑)
しかーし、卒業して30年、40年、そのぐらいしてから興味が出てきた。量子力学だけではなくて物理の昔のワタクシが避けた分野に。
そこで専門書を図書館で借りて地道に勉強するという純真な魂を持つワタクシではない。理論を理解することの障壁は高い。一つは数学だ。大学の学部レベルの数学では太刀打ち出来ぬ。それはそうだ。量子力学は学部よりは大学院での勉強時間の方が多かろうに。大学院に進む連中はワタクシと違って数学もできるのだ。コンコンチキ!
そこでワタクシは今から数学の勉強を始める・・・というのは放置。せめて物理学史を知ろう。そういう方向に進路を変えたのである。もともと進路はないのにか? うるせー。
上の本は一般向け。量子力学の教科書でもない。しかーーし、この本で出てくる物理学者・数学者・科学者は数百人だ。たぶん。数えてはいないが。
量子力学の発症は1900年のプランクの作用素の発見であると言われる。言われるが、当時は物理学者は誰も興味を示さなかった。プランクが量子力学の父だと言われたのは後の後の後の話だ。
歴史とはそういうものである。
1900年からのプランクから1940年ぐらいまでの物理学史を量子論の分野で見ると
1900 プランク 作用素の発見
1905 アインシュタイン 光量子、ブラウン運動、特殊相対論
1907 アインシュタイン 固体の比熱(これは量子力学の考え方を使ったものなので知るべし)
1910 ミリカン 電子の質量・電荷の精密な値
1911 ラザフォード 原子核 発見 原子モデル
1913 ボーア 水素原子モデル
1915 アインシュタイン 一般相対論
1918 ミリカン 光電効果の精密実験(うろ覚え)
1919 ラザフォード他 水素原子の原子核が陽子であると決定
1921 ボーアと他名 光量子否定の論文提出
1922 コンプトン散乱発見 ( ボーアらの光量子否定の論文はゴミ箱行き)
1923 ド・ブロイ 物質波のアイデア
1925 ハイゼンベルク 行列力学(ハイゼンベルク、ボルン、ヨルダンによる)
1926 シュレディンガー波動力学 ボルンによる波動関数の確率解釈も
1927 ハイゼンベルク 不確定性原理
1928 ディラック 相対論的量子力学(ディラック方程式からスピンや陽電子がでて)
1929 パウリ・ハイゼンベルク 波動場の量子力学(これが場の量子論の始まりらしい)
1931 アンダーソン・陽電子発見、チャドウィック・中性子発見
1935 湯川・中間子提案
ここらから第二次世界大戦のきな臭さが始まり戦中は物理学者が本来の研究が出来ない時代が始まる。ハイゼンベルクにしても湯川にしても軍事用の研究・開発に駆り出されたらしい。
1945 湯川中間子発見 Πと表記。湯川だから u-onでは・・・ならなかった。
1950 この年代以降は衝突型加速器が稼働し大量の新粒子(ハドロン)が発見され、ハドロンはバリオンとメソンに分類され、だ。そして、1960年代半ばにクォーク理論が登場し、素粒子の整理統合というか、分類というか成功。
ほんで実在とは何か・・・を簡単に整理しようと思ったが、ここでワタクシはチカラ尽きた(笑)
結論は、そんなの考えてもしょーがないし、考えたいならば死ぬまで考えろ、って事だ。
その過程で何がしかの影響がワタクシにあるかも知れないが、今の所は、すきにしーーーたまえ。
ワタクシは、どうせ人類は数千年先に消えると思うとる。未来永劫の生命はないのだ。それだけだ。生きている間に、ちみいらは すきなよーーにせーーよーー と。
ワタクシはそういう達観。どや。
生きている間に四苦八苦する。それが人生なのだよ。実在とは、おまいが生きている間にある(おまいにとっては)
というわけで、物理の分野では、どうもスッキリ・爽やかな世界はないというのが現実のようですわ。
どや。
つーかね、2000年頃に「エレガントな宇宙」というブライアン・グリーンの本がヒットしたのだが、著者は今後の10年でこの分野は画期的な進展を見せると楽観視。
しかーーし、それから四半世紀過ぎて、その画期的な進展ってあったのかーーい。
なかったのだ。超ひも理論は停滞して久しい。
量子力学の分野では2012年にヒッグス粒子が発見された。これで素粒子の標準模型に出てくる粒子は全て検出された。
2016年には一般相対論が予言した重力波が検出された。すばらしい。理論から100ねんだ。
このような科学技術での成果はあるものの、それは超ひも理論の成果ではない。ブライアン・グリーンの「エレガントな宇宙」の副題は 「超ひも理論がすべてを解決する」である。
おおぼら吹いて、大風呂敷を広げて、わっはっは。どや。
というわけでワタクシは素粒子論等の分野では停滞していると思う。華々しい発見があり、よっしゃー、ならばカネ出して高エネルギーの設備を作ろうではないか・・・という時代は過ぎた。
もう、カネがない。貧乏・金無しなのである。ちがーーう。
ビッグサイエンスと言われて半世紀以上か。もう、カネがない。というか、カネを出したらどうにかできる段階でもない。今の手法での科学技術の探求は飽和して、ドンづまったのである。
というのがワタクシの感想である。ならばどうするか。
それはね、やはり、ブレイクスルーを起こす天才の登場に期待するのみ。秀才はいくら集めても天才にはなれぬ。そこだで。知らんけどな。
で、上の本では 実在って・・・ ワタクシ、興味ねーーのです。さいなら