C++はベターCである・・・という使い方もあろう。hage.c のようなCの記述ファイルを hage.cppとして g++ でコンパイル出来るし。うむ。
だが、ここで少し抵抗して、printf()は使わない、coutを使うとかのC++の記述優先にしてコードを書いてみたい・・・のではなくそういう例題ばかり動かす。少しは修正するけどさ。初めからワタクシが何かスクラッチでC++のプログラム・コードを書けるわけないじゃああ あーーりませんか。
ところでVScodeのエディターで書くあれは何というのだ? Program Codeというのか、単なるTextファイルというのか。PythonならばScript Codeというのか。待て待て、VScodeという名称なのだから書いているのはCodeだろ。Textで「読んでね.txt」を書くときはCodeではなく駄文だなあ。うるへーーである。
というわけで、CodeはC++を意識する。
昔、10年ぐらい前はOpenCVはC言語インターフェースを提供していたが徐々にC++に変わりOpenCV3.*のどっかからC言語サポートは撤退したのである。なむう。。。。。
時代は変わるのである。どや。なにがや。知らん。
2010年頃はMSはC++/CLIを宣伝していたのであるが2013年頃には「C++/CLIでGUIアプリを作るのは推奨しないなのだ」と方針代わったのである。それから10年ぐらいが過ぎてワタクシはハゲったのである。うるへーである。
何かを実現したいのでコンピュータ言語を学ぶのではないのである。どのような言語でも実現できるだろからなあ。
ワタクシの趣味はコンピュータ言語の習得を試みる事である。決して習得すなわちマスターしようなどと高望みは持たないのである。どーや。
しかーーし、Pythonでは簡単に出来ることがC++でも出来るのだが四苦八苦するのである、という事実はいくらかある気がするなあ。C++の達人はどうだか知らないが。
図書館にコンピュータ言語20習得法だっけな、講談社BBの釣り本があったのでざっと眺めたのだが、パーカ パーーカ、書いている奴はパーーカ、万年筆はパーカーというぐらいである。何言ってんのかわからないである。
ひとが考えることだから似たようなことを考えるさ。
C++,Python, C, JAVA等でClassかつかわれるがGo言語にはClassはない。だがC++のClassと似た機能は構造体とメソッドで実現できるのである。
あるコンピュータ言語で良い機能があったら他のコンピュータ言語でも機能を実装する方向に進むわいな。
C言語の for文は・・・ C++, Python等では拡張for文が登場しているが他のコンピュータ言語でも拡張しとるわな。記述に微妙な違いはあってカンポキな互換性はないとしても。
ここだ。人が考えることだから似たようなものになる・・・ここにワタクシは哲学を感ずるのである。
コンピュータ言語は人工言語であるだけれども思想が背景にあるのである。ウィーン学団の論理実証主義やドイツ観念論などによって文化・伝統・慣習的に刺激を受けた西欧とは異なり、極東の島国の我々は一神教の影響もさほど受けず、哲学というものに触れる機会も少なく、ひょっとしたら日本人こそが科学や技術においてブレイクスルーを起こす可能性が高いという妄想を持ちつつ、どーたらこーたらで、頑張ろうぞの。
既にワタクシは書き初めの頃の意識はどこかに飛び、現時点では何を書いているのかもわからず記憶は30秒ぐらい前まではある。要するに酔っ払っている(笑)
どーーーや。
駄文と雑文と、趣味なのである。読者は明日のワタクシなのである。おお、ワイは昨日はこんなことを書いていたのかあぁぁぁ と明日に知る。それが正当な酒飲みの王道というものなのである。どーや。パーカ パーーカ。ここまで読んだちみいは パーーーカーーーーー