ただ、素粒子論を理解しても何の役にも立たないという現実はあろう。素粒子論は相対論的場の量子論を基礎としたゲージ場の理論で記述される。。。どーや。
SU(3)×SU(2)×U(1) である。どーよ。
てな当たりを知ったところで、何の役にも立たぬ・・・いや、個人の知的好奇心を満たすという意味では役にたつ、としよう。つまり、趣味のレベルだ。この分野の専門家になろうというものではないし、ちょっと覗いて見ようかなって。
まあ考えてみれば物理学科の上級生から院生が勉強するような内容をワタクシのような凡庸で善良でIQ88ぐらいの市井の一科学ファンが理解しようってのは高望みすぎるのである。どーや。
ただ、ワタクシは入門書をいくつか読んで知ったぞ、たいへん便利なもの。「対称性の自発的な破れ」 これだぜ。要するに自然は・・・物理法則は対象性が守られているわけではない。守られているものもあれば、そうではないものもある。どーや。
対象性が破られているからこそ、現実の豊富な物質世界がある。どーよ。
しかし、考えて見れば、対象性は破れている・・・というところからスタートして物理理論が作れるのではないか。対象性が保たれているというのが異常なのだ。なんちゅーて。
で、素粒子ってどこにあるの、いるの? いないのだ。もっとも第1世代のクォーク、第1世代のレプトンは原子を構成するのでおるおる、そこにおるおる。なのだが第二、三世代のクォークはどこにもおらん・うーたん。加速器の中で10のマイナス8乗~23乗の時間内だけいる・・・というのはワタクシはいないと判断する。
どこにもおらんものを求めて何を探すねん? ここら この先にどのように進展するか知らないが、すでに妄想の世界に入っているとワタクシは感づいている。
ただ、妄想は楽しいからなあ(笑)
素粒子論の入門書を読むのもそろそろ終わりにして次は別の探そうっと。
で、対称性は破れてるのが普通であって破れていない状況が異常なのでは? どーや。あるいは、そんなものは破れていようが破れていまいが、すきにしーーーや、というのが自然の本質ではなかろうかと思う次第である。物理学者の願望など自然が知るかよバカタレ、なのである。知らんけど。