そりゃきみい、難しいからに決まってるがな(笑) ワタクシの正しい指摘はともかくワタクシが素粒子論に抱く雑感を書く。なぜ難しいのかはワタクシのような一般人の疑問に答えないからだ。だいたい本は著者が伝えたい事と読者が求めるものがずれる。教科書もそうだ。なんちゅーて。
素粒子論の入門書を何冊か読んで雑学は増えたので書く。
素粒子は物質粒子としてクォーク、レプトンがある。チカラを媒介する素粒子としてグルーオン8種、weakボソン3種、光子で12種ある。少し細かく言うと、
クォークは3世代18種類(量子色力学QCDによる)、反クォークもあるので36種。
レプトンは3世代6種類、反レプトンもあるので12種。
チカラを媒介する素粒子は反粒子も考慮しての12種。
36 + 12 + 12 = 60種類。これに補助場の量子・ヒッグス粒子が加わるので素粒子は60を超えるのである。どーや。多すぎだ!! と思へよ、ちみぃ。
実はその多すぎるクォークはどのようにして生み出されたのか。50年代以降に大量に発見されたハドロンを説明するためである。
1935年に湯川秀樹は核力の説明のために中間子を構想した。未発見であるがあるはずだ、理論からは推定できる。当時、湯川は中間子は一種類だと信じていたらしい。40年代半ばにパイオンか発見された。湯川中間子はパイオンと言う。49年に湯川ノーベル賞。
ところが50年代以降に中間子は数十と発見された。ハドロンはバリオンとメソンに分類される。陽子・中性子はバリオンの中で最も軽い。湯川中間子はπおんと名称がついている。uオンでも ユカオンでもない。ユカリンはまったく関係ない。
大量のバリオンが素粒子であるはずがない、と考えた物理学者はクォークを考え出した。64年にツヴァイク、ゲルマンが独立に同じアイデアを出したのである。その後のクォーク理論の成功は周知であり略する。知らん人は入門書を読むがよかろう。
こんなことは入門書をいくつか読めば書いてあることなので誰もが知ることができる。わかりにくいかと問われれば、知らん。ワタクシは理解しようとしない。単に知るだけである。だって理論はとっとも難しいもの(´・ω・`)
しかし、ここらで大きな疑問が出る。そもそもハドロンは寿命が10^-8 から 10^-23 秒という極めて短いものだ。日常で言う一瞬どころか、一瞬よりも一瞬だ。つまり安定して存在する物質ではない。当然、ハドロンを構成するクォークも上で36種と書いたが安定して存在するものは限られている。u , d クォークは陽子、中性子を構成するものであり安定して存在している。陽子、中性子が消えない限りは。もっとも中性子の場合には原子核内では安定だが自由中性子は15分ぐらいで陽子に変身する。この変身は物理学では崩壊と言うのだがワタクシは意味的に変身が妥当だと思うので変身と書くがお察しくだされ。
つまり、安定して存在する物質でもないハドロンを説明するクォークも安定して存在するものではない。(陽子、中性子 を除く )
ここでワタクシは違和感が出る。いったい何を物理学者は探っているのだ? 素粒子論がわかりにくいという前に物理学者はいったい何を探っているのだ? 安定して存在する物質でもないものを調べて何になるのだ? これだな。 物理学者の好奇心ってものか(笑)
もう一つの疑問。ハドロンは実は核子の励起状態を別粒子として捉えているのである。ここで水素原子を思い出そう。水素原子の励起状態はエネルギーが高い。だが、水素原子として扱う。エネルギーが高い水素原子は別原子として捉えるべきではないのか。だが、別原子として考えない。水素原子のままである。これはエネルギー順位が理論的に解明されているから、であろう。
核子が励起された状態がハドロンである・・・という記述はいくつかの本で見たので妥当だとしよう。励起状態は不安定なので瞬時に崩壊し、崩壊し、元の核子に戻る。では励起状態は何種類あるのか。「クォーク2」で南部陽一郎は励起状態は無数だと書いていた。うろ覚えだが。
するとハドロンは加速器の性能次第でいくらでも増える。80年ごろは800ぐらいだという記事をどこかのサイトで見た気がする。
そのぐらいあってもクォーク36種類で説明可能か。ハドロンが数千となっても36種のクォークで説明可能か? 核子の励起状態は無数にあるというのであれば、これを36種で説明することは不可能である。36種の組み合わせには制限があるからだ。R,G,Bという色力学はハドロンは無職でなければならないという。ちがーーーーう。無職はワタクシである。バカタレ。無色だ。つまり、組み合わせの中から條件で絞って行くことになる。
そうなると無数の励起状態を36種と無色の条件で説明するのはできない。クォークももっと必要になる。
って考えたのワタクシ。
ところで西島和彦「素粒子の統一理論に向かって」岩波 1998年ごろ。益川敏英「ゲンダイの物質勘とアインシュタインの夢」岩波 1998年ごろ も読んだ。そこにはゲージ場の量子 = 素粒子という構図がある。
これは場の量子論の先駆けである量子電磁気学での成功を受けて、その路線で素粒子論も行けるぜ・・・行こうぜ・・・というものだ。
ゲージ場である電磁場の量子である光子は質量が 0 だ。ゼロだ。ゲージ場の量子は質量がゼロでなければならない。理論はそういう。だがクォーク、レプトンは質量がある。weakボソンも質量がある。ならば、ゲージ場の量子 = 素粒子という狙いは失敗か?
ここで物理学者は奇妙な処方を思いついた。ゲージ場の量子は質量がゼロであったのだけど、それはゲージ対象性が守られている世界ではそうなのだけど、あーーる日 突然、ゲージ対象性が自発的に破れたおおぉぉぉぉぉ。 と考えた。ここらはヒッグス機構とかヒッグス粒子の話なので入門書にも書いてあるので読むがよかろう。
それによって素粒子は質量を得た・・・・という単純な話ではない。ヒッグス機構が説明するのはweakボソンの質量についてのものであり、クォークやレプトンの質量をヒッグス機構で説明できるのではない。
ようするにクオークの質量、レプトンの質量については規則性が何もわからない。世代が増えると質量は大きくなるという観測結果があるだけだ。
ヒッグス粒子はひょっとして非力か? なんちゅーて。数種類あるべきなのか? 知らん。
とうわけで上の本の「なぜ わかりにくいのか」に対するワタクシの考えは、そりゃ ちみぃ、とっても難しいからだよバカタレ!! ってところだ(笑)
具体的なイメージとしてバネの図とか出てくるけど別の本でもそういうのはあって、それでもワカラン。そういう例えはな、何を例えているのかを慎重に何度も繰り返さないとバネの振動ってものを勝手に想像して・・・あーーーん、まるでワカランってなるで。
場の量子論の話もしているのだが、素粒子論のわかりにくさが解消するわけではない。場の量子論というもっとワケワカラン、わかりにくいものを出しても、分からないモノを説明するために、もっとわからないものを出してきたってことになってな(笑)
だいたい、素粒子なんて無いのだよ・・・・ って気がしたりして。ほんまでっか。
posted by toinohni at 18:42| 東京 ☔|
Comment(0)
|
物理科学雑学
|

|