アインシュタインが光の運動量について p = h/λ という数式を1910年代末には出している。ド・ブロイの物質波は λ = h/p = h/(mv) である。pとλを入れ替えただけである。よって、この関係式はド・ブロイ-アインシュタインの関係式と書く本もある。
1923年ごろか、ド・ブロイの論文が出たのは。これは博士課程の院生が博士号取得のために書いたそうである。担当教授は内容が理解できずアインシュタインに意見を求めたそうだ。結果としてド・ブロイは博士号を取得し、その論文で1920年末にはノーベル賞を受賞したのである。
このような話は量子力学の入門書・教科書等でも紹介されている。この関係式は単純である。さらにデビッソン・ガーマー、G.P.トムソン、日本では菊池などが実験で電子の波動性を検証している。1927年頃だ。電子が波の性質を持つ・・・検証された。そして、驚くことに1926年にシュレディンガーの波動力学が誕生している。ド・ブロイ波が従う波動方程式・・・シュレディンガー方程式。それは解析的に解けた。パウリ、ディラックなどの俊才が当時いたのである。
シュレディンガーの理論は正しい・・・と認識された。ド・ブロイ波が従う方程式。
てな話は量子力学の入門書・教科書等で紹介されている。ワタクシは別の事を考えた。
どのようにしてド・ブロイは物質波を思いついたのか? そこだ。そのトリガーは何だったのか。
「物質と光」ド・ブロイ 河野与一 訳 岩波文庫 1972年。。。。 この本が良い。内容は1930年前後にド・ブロイが行った講演の特集である。1929年のノーベル賞授賞式での講演もある。
どのようにしてド・ブロイは物質波を思い付いたのか? 光は光量子というエネルギーのカタマリであるという視点は1905年にアインシュタインが光電効果を説明するために設けた仮説である。光電効果が説明できた・・・だが、物理学者は気にしなかった。光は波である。先入観は強い。その後にミリカンによる光電効果の詳細な実験があった。1910年代終盤である。結果はアインシュタインの光量子を支持するものであった。だが、ミリカンは光は波であるという先入観がある。結果はアインシュタインの光量子仮説を否定するものではない、と言った。どうしても先入観は抜けない。
1920年代にはいり、ボーアは共著で光量子を否定する論文を書いた。そこではエネルギー保存則を否定すれば光量子はいらないという大胆な発想があった。だが、直ぐにコンプトン散乱が発見されて光量子は支持され、光子に昇格だ。ボーアらの論文はクズカゴ行き。
このようにして光が電磁波という波でありながら光子という粒子性を持つ事にド・ブロイは注力した。
ド・ブロイは電子は粒子だが波と関連付けられないかと考えた。
特殊相対論では電子の静止エネルギーは E = mc^2 である。光のエネルギーは振動数が入る。古典物理では波のエネルギーは振動数ではなく波の振幅で決まる。さー どーする。
光のエネルギーは E = h ν である。振動数が効く。
電子のエネルギーも電子の波の性質があって、その振動数でエネルギーが決まると考えれば、
hν = mc^2 が成り立つ・・・としてみよう。このνは物質波の振動数である。
だが、ここらからワタクシはワケワカメだ。この等式が成り立つ根拠は何だ?
仮にこれが成り立つとすると以降の議論によって λ = h/p が出てくるのだけどね。
てな事に加えて、もうすこし議論はすすむのだが、 「物質と光」ド・ブロイ 河野与一 訳 岩波文庫 の内容を解説しているかのようなサイトを見つけたので紹介する。
https://www.osaka-med.ac.jp/deps/che/hayashi/Quantum_mechanics_history03.html
このノーベル賞受賞講演の内容が「物質と光」ド・ブロイ 河野与一 訳 岩波文庫 であるようだ。ド・ブロイはフランス人なので原文はフランス語なんだろな。
ワタクシは hν = mc^2 という結びつけ方に驚嘆したのである。特殊相対論でのエネルギーと量子力学の振動数によるエネルギーを等価とした。νは物質波の振動数である。そして、
ν = mc^2/h = 定数 物質波は波長は速度で決まるが振動数は一定なのである。
てなわけだが、こういう記述の場合に、v と ν の区別が困難だ。
Fontを替えてみるか。MS明朝にしてみた。OLWではいいのだが投稿してFirefoxで見るとどうなるか。。。 知らんけど。MS明朝だと良いね。メイリオはダメだ。
つーわけで、ド・ブロイは粒子を波動と結びつけたかった。光が波動であり粒子の性質も持つのだから電子だって。。。。 ってかね。
その後のド・ブロイは実は量子力学の主流から外れた。ボーア一家が勢力を拡大したのだ。だが、1950年代にデビッド・ボームが登場した。これでド・ブロイも勇気を得た。
ボーア一家のコペンハーゲン解釈だけが量子力学の解釈ではない。
そして、量子力学基礎論というものが1980年代には登場したらしい。。。。そこらの話は入門書でも読むがよかろう。
つーわけだが、ワタクシは量子力学の理解は浅い。とっても浅い。結果だけなら知っているが理屈は知らんのである。考えるとドンづまる。
もう一つワケワカランの。他電子のビームの場合にド・ブロイ波は平面波と結び付けられる・・・・というのだが根拠が分からない。平面波と結びつけたいという願望は分かる。
てなわけで考えるとドンづまる。考えず結果だけ覚えていると楽でいいが、つまらん。
てなわけで寝る。
posted by toinohni at 19:25| 東京 ☀|
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