わたしの わたしの カレーは インドカレー ちがーーーーう!! 麻丘めぐみのカレは左利きだったのだひでき。。。。 そーなん?
どーや!! ワケワカランだろ。ワタクシもワケワカラン。weakボソンは左巻クォーク、左巻きレプトンだけに作用する。右巻きは嫌いなのだ・・・ ほーーーー。
ところで左巻きと右巻きで特性が異なるのであれば素粒子の分類として区別できるのだから別種ではないのか?
いや、これはパウリの排他律を考えたまへ。K殻に電子は2個入るのだがパウリ大先生はフェルミオンは一つの量子的状態に一つ入る・・とのたまわったのでる。Heは電子が2個K殻におる。それ、ヘンじゃねー? 一個しか入れないってハゲのデブのパウリ大先生は言うとった気がするがなあ・・・ という疑問は電子のスピンが2つあるサーで解消だ。ここで電子が2個あるのだがスピンは一つが上むき、他方は下向きなのである。だったら電子はスピンで区別できるではないか。
電子は2種類あるのではないか。区別できるのだから。区別できるのだから種類が違うのだ。
とワタクシは考えた次第である。素粒子を分類するのにスピンの違いで別の種別とするようなことはしないみたいだね。
だが反・素粒子は区別する。電子と陽電子は別種だ。うーーむ。そーなんだ。
しかし、weakボソンが左巻きクォークとのみ作用する・・・というのであれば左巻きクォークと右巻きクォークは別種として捉える事ができようぞーーーーーうさん。
しかし、電子は電子。スピンが↑の電子、↓の電子として区別はできるが電子は電子。
u クォークの左巻きでもu クォーク、右巻きでも uクォーク・・・・・ なんだかなあ。
電子には個性がない、電子は区別できない、素粒子はそうだ・・・・ などというのだけど、スピンで区別できるじゃあぁーーーん。だが電子は電子。なんだかなあ。
というような話がえんえんと続いているわけではない。
左巻きとだけ作用するのである。ほんまでっか。 さよう である・・・・ しーーん。
ここらで対称性が気になってしまう。自然法則は対称性を守っている正直な領域もあれば対称性を守らないへそ曲がりもおるおるおーーるず。
「クォーク2」南部陽一郎 講談社BB 1998 では弱い相互作用を傾いた屋台と表現していた・・・気がする。弱い相互作用について知ることが素粒子物理学の真髄に迫る王道である、とワタクシはさっき考えた次第である。テキトー。
自然は対象を好む・・・とは限らない。つーか、世の中見れば対称性があったりなかったりの世界じゃあぁーーーーん!!
ワタクシは神が左利きだとは信じられない・・・・・ハゲでデブのパウリが言うたらしい。量子力学で多大な貢献をしたパウリでさえ、簡単には理解出来ぬ、受け入れられぬ現象が発見されたのであった。1950年代の話である。
神様は左利きであるようだよん、とワタクシは今は思う次第である。まー、すきにしたまへとも思うのである。
神は左利きか・・・・興味があったらレーダーマンの本も読むがよかろうぞーうさん。
この本でワタクシは他の入門書に書いてない事も知ったのである。レオン・レーダーマンは実験物理学者である。理論屋ではない。実験屋が一般向けの本を書いている。
こうなると理論屋も本を書けよ、一般向けにわかりやすく書けよ、書いてちゃぶ台!! なんつーーーーて。思う。ノーベル賞受賞者はどうしてこうも文才があるのだろう。。。。。
朝永振一郎しかり、レーダーマンしかり、・・・・ 現役引退してからの仕事は一般向けの執筆だったりして。。。 ホンマでっかね。
とにかく、ワタクシはweakボソンが左巻きのクォークや左巻きのレプトンと作用すると知って、この ひねくれ者めが!! と思った次第である。
公平で平等な自然をワタクシは望むのである。だが、公平で平等な自然はないのである。なにしろ、自然は 自発的な対称性の破れが好みである。 わしらの豊富な物質世界は・・地球に限ってのことであっても、公平で平等な自然からは生まれ得ないのである。
公平で平等な状況は何も生まぬ・・・・・ うーーむ。そんな気がしてきたのである。
寝ようっと。