
1988年第12刷 ただし内容はド・ブロイの講演ものであり昭和一桁から10年代であろう。後書きに仁科芳雄が短い文章を書いているが昭和14年と出ていた。
ド・ブロイ波。物質波。高校物理で出てきた気がする。光電効果を説明するためにアインシュタインは光がエネルギーの粒子として振る舞うとして光量子仮説を提案した。1905年だ。しかし光量子仮説が受け入れられるまで20年近く要した。1922年頃にコンプトン散乱が発見されて光電効果・コンプトン散乱と光の粒子性を考えるしかない。光量子は光子に昇格だ。
その頃、ド・ブロイは粒子である電子が波の性質を持つと提案した。波動工学の誕生である。
てな話がある。講演集なので同じ話が重複している。図はない。数式は少し出てくるが文章は縦書きなので数式をキチンと読むには本を90度左回転すべし(笑)
で、言いたいことはそうではない。ド・ブロイが光子について、電子について考えた経緯がある。
光電効果は光の粒子性を考えると説明できる・・・とは言っても具体的な描像を描くことは難しい。古典物理的に言うとピンポン玉のような白い球(ずーと小さい)が光子として黒い球(ずーーと小さい)が電子として白い玉が黒い球にぶつかって黒い球が金属から飛び出る・・・という例え。
ただ、これは粒子性の例えであって実際はそうではない。白い玉と黒い球の衝突では白い玉も残るが実際は光子は消える。
そもそも電子を点として考え、光子も点として考えると点と点が衝突するってありえーぬ。点は大きさがないのでね。
なので大きさを持ったなにかって考えたいが電子の大きさは不明。古典物理での見積もりはある。光量子に至ってはエネルギーがE = hνってだけであり、どのような形なのかわからぬ。
しかし、青い光が赤い光よりエネルギーが高いので電流が大きくなるという対応は分かる。
ようするに、光量子と電子がどのような作用をするのがワタクシはイメージを描けないのである。
これは電子が光子を吸収して光子は消え、エネルギーの高くなった電子が金属から飛び出す・・・という表現にはなるが、それで納得できるワタクシではない。現象を説明するのに定性的な説明があるだけである。
ここらは当時の物理学者も悩んだところであろう。
光電効果の説明も物理の本に載っている説明で納得できるワタクシではない。たしかにそういう説明で辻褄があうなあと思うだけであり具体的な描像はないのだ。
それを言うとド・ブロイ波はもっと具代的な描像は持てないのである。ワタクシは。
だが干渉実験から電子が波の性質があると考えざるを得ない。波は電磁場であれば電場・磁場の振動であり、池の波であれば水分子が上下に振動しているというイメージがある。
ド・ブロイ波は何が振動しているのか。振動面があるのか。電子に付随するというのだが電子の周囲にあるのか、広がっているのか・・・・
ようするに光子もド・ブロイ波も古典物理の何かで捉えようとして捉えられるものではないのである。
上の本では物質と光、限定して言えば電子と光についてド・ブロイがどのように考えたかを知る事ができる。たぶん。
ワタクシはこの手の本は図解でないと嫌いじゃー!! なのであるが読んでいくと面白くなって来た。漢字も難しいのがたまに出てくるし(笑) 図がなくて文章だけで説明すると大変だなあ・・とも思うのだが。
ちなみに量子力学の波動関数の解釈ではド・ブロイはパイロット波というものを考えたようだがデブで性格の悪いパウリに散々批判されて引っ込めたそうな。上の本では書いてないけど。
ところが60歳になってコペンハーゲン解釈から離れている。解説に書いてあった。
シュレディンガーもコペンハーゲン解釈から離別している。
ボーア、ハイゼンベルク、ボルンらによるコペンハーゲン解釈だけが正しいわけでもない。デビッド・ボームの量子力学も正しいとされている・・・と何かの本に書いてあったの思い出した。ボームの量子ポテンシャルに関してはハイゼンベルクは、何も新しい事を言っていないと批判していた。どっかの本にかいてあった(笑)
ワタクシが感じたのは本はゆっくりと読むってことだ。この手の本はゆっくりと考えながら読む。いろいろと連想しながら、他の本の内容を参考にしながら、ゆっくりと読む。精読というのか熟読というのか知らんが、考えながら読む。自然とゆっくりになる。速読はんたーーーい!! (笑)
posted by toinohni at 07:49| 東京 ☀|
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物理科学雑学
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