最近、Python, c/c++などの復習をしている。例題はたくさんある。サイトからDownloadしたし。数百はあろう。
そういうの眺めてだな、コード読んで。中には自作のもあるし。復習すると記憶が蘇る・・・といいのにぃ・・・・・
なんというかね、物理でも入門者向けの定性的な話ばかりだと理解が進まん。どこかで計算問題をこなす、そういう作業が必須だ。定性的な話はいくら読んでも理解が進まんという気になってきた。
これは英語もそうだが、TOIECの問題ばかりこなしているとTOEICの問題には少し強くなるかも知れないが英語が向上するわけではない。何らかの実践を並行しない限りはあかんだろ。
そこなんだ。例えて言うと、定性的な話ばかりの入門書はある時点で飽和するのだひでき。実際に計算問題をこなす等をしない限りは理解は深まらぬ。
Python, c/c++でも同様であり、入門者向けの簡単なコードをdownloadして実行して、動いた、よっしゃ、終わりだ! という事では進歩はござらぬである。
DIYというのがある。どーいたしましてよろしく、 ではにゃーーーい!! 自分でやりたまへよ、という事だ。ちなみに、吉本新喜劇で 変態ダンスをたまにするのは たまよ であって・・・ で?
つまり、実践こそが ちみぃを進展させる駆動力となあぁーーーるのでああぁーーーーるるるるるるるーーーんんん だよん。
昔の人は言うのだった。習うより慣れよ!! 原点はそこにある。どうせオツムは習うのに適していない(笑) 繰り返して何かやれば、少しはできるようになるのではないか。一を知って十を知るという超べんりなアタマとは対照的に、ワタクシは10を聞いて1分かれば上出来なのである。
いいじゃん。10をわかりたければ、100聞けば良い。もう数が命、数で勝負だ。凡庸なオツムを自覚したら、やるのはそこしかない。
一を知って十を知るという 超・便利なアタマではないと自覚して数十年だが、一向にすすまんな(笑) まだ何か自分のオツムに可能性を期待しているのか、それは幻想であり、妄想なのであるぞ、 なんですとーーーー。
それはそれとして世の中に出ているDeepLearning等の本、あれで理解できるってどういう連中なのだろな。まあ便利な頭のやつらは たくさんいるんだろよ・・・・って期待。
そいつらが素晴らしいアプリを作ってワタクシにタダで使わせてくれくれくれーーーぃまん!!