https://hochi.news/articles/20210719-OHT1T51146.html
矢野委員長は、「14日目の目を疑うような仕切り、連日の張り手、千秋楽の肘打ちとも疑われないようなかち上げ、さらには武道にはありえないようなガッツポーズ、そういったものを見苦しいと思いました。どう見ても美しくない」と言及。更に「多くのファンからもひんしゅくをかっている。勝つためには手段を選ばないと思った人も多いのではないか。大相撲が廃れていくという深い懸念を皆で共有した」と厳しい言葉を並べた。
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なるほどね。そういう見方もあるわけだね。だが、ワタクシは大相撲は格闘技だと思っているし、勝負師の世界だと思っている。
なので白鵬のカチアゲや張り手は別にどうでもいい。ただ、問題はどうして下位力士が白鵬に対して張り手やかち上げをしないのか、できないのか? そこにムカッパラが立つ。
禁じ手ではないのだ。相手が上位だからといって張り手しない、かち上げしない・・・という姿勢は勝負師として失格だ。
横審は大相撲を能や狂言のような伝統芸能と捉えているわけか。ワタクシは格闘技であり興行であると捉えている。プロレス等と同格である。
ワタクシは大相撲は格闘技だと思って見てきた。勝つためには禁じ手ではない張り手やかち上げを使うのは良い。逆にどうして、白鳳に対してそういう技術を使わないのか。下位力士の萎縮した根性にムカッパラが立つ。横綱が・・・とか言うが、横綱こそが勝負師のトップなのである。
横審が大相撲が廃れるとか言うのは、かってにしたまへ。ワタクシは大相撲が廃れようがどうでもよいのである。とにかく、横審の存在自体が何のためにあるのかわからないし、大相撲は興行で儲けて食っていく団体である。
てなわけだが、理想像を求めすぎるようなあ、一部の日本人は(笑) その理想像が妄想であることに気づけよバカタレ。大相撲は伝統芸能ではない。格闘技だ。
なんちてね。
格闘技でありながら、伝統芸能でもあり、神事でもあり、いろいろな日本の歴史と伝統と文化が混ざり合って成り立っているので、まー一部から強烈な意見があっても、他の視点から見れば、そうではないという、実に良い教訓であるね。
大相撲は様々な視点から見られている。横審の視点は その一つ に過ぎない。
そして、ものごとを複数の視点から見ようとしない連中を馬鹿と言う(笑) 見ないのではなくて、みようとしない連中だ。カルトが典型ですね(笑) 共産党もそうかもな(笑)
それ言ったら創価もキリスト教も(笑) キリスト教なんて、神を疑うな とかいう実に都合のいい事を強制していたりしてな。詳しくは知らないけど(笑)
で、照ノ富士は横綱になるとして、次はどうなるんだ。貴景勝は怪我ぎかり、正代は まさよ ちゃん でよわっちー。朝乃山は夜乃山になって謹慎中(笑) 次の大関候補は? というときに、・・・・だな。
モンゴル勢は横綱 数人出して 大関も数人出して・・・・ 横綱は大関経由しているからなあ。
そこだで。どうして、日本人力士は強い大関、横綱として成虫しないのか。
そりゃ単純だろう。格闘技ではなくて伝統芸能・古典文化の延長だと思っているからサー。そういう一面もあるのだが、格闘技であり勝負師の世界であるという認識が足りないのではないかと思う次第である。
で、横審って なんのためにあるの? 意味あるの? テキトーな感想言うだけで仕事してカネ貰って・・ってか メシウマーってか。 大相撲は公益法人なんてやめろや。興行で儲ける団体でいいじゃんかよーーー。なんだとーーー。てきとーーーー。