https://hochi.news/articles/20210524-OHT1T51051.html
大相撲夏場所で2場所連続4度目の優勝を果たした大関・照ノ富士(伊勢ケ浜)が24日、テレビ会議アプリZoomで一夜明け会見を行い、優勝の喜びと綱取りとなる名古屋場所(7月4日初日・ドルフィンズアリーナ)への決意を語った。一問一答は以下の通り。
「いつ何が起きるかわからない状態で、土俵を務めていますから。いつ辞めてもおかしくない覚悟の上で、もう今日で相撲取って最後かもしれない、そういう思いでやってますから。だからこそ、心の準備というのか、そういうのを最初からしとかないといけない。(横綱に)上がっても上がれなくても。辞めても自分で納得のできる終わり方をしたい。それだけです」
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実に感動的である。
(横綱に)上がっても上がれなくても。辞めても自分で納得のできる終わり方をしたい。
(横綱に)上がっても上がれなくても。辞めても自分で納得のできる終わり方をしたい。
そこだよなあ。朝乃山もこういう心境まで精進して欲しいですわなあ。序二段まで落ちてから大関に復帰だ。素晴らしい。序二段まで落ちたという経験が大事なんだ。落ちても諦めない。そこだね。
朝乃山がどこまで番付下げるか分からないが、腐らずに頑張って大関復帰して欲しいものである。2,3年後には。その頃は新コロも収束して館内で大声での声援も可能になっていることでしょう。十両土俵入りか、幕内土俵入りで朝乃山が出ると、キャバクラーーー!! と大声援が沸き起こるであろう。楽しみである(笑)
で、照ノ富士の復活は伊勢ヶ濱部屋なくしてはあり得ない。伊勢ケ浜部屋とは?
伊勢ケ浜部屋の歴史を見るといろいろあって、まーーたいへんですわ。親方は元・旭富士である。とにかく、この部屋はいろいろあって大変ですわ。不祥事がいろいろあってという意味ではないからね。照ノ富士は初めは間垣部屋に入ったらしい。二代目・若乃花だ。四股名は若三杉と似た若三勝・・・ 若三杉は二代目若乃花が大関まで名乗ったんだっけな。
で、間垣部屋の閉鎖で伊勢ケ浜部屋に移り、四股名も照ノ富士に変えた。
これスゴイ。北の富士、千代の富士、旭富士らの横綱の富士の前に、照國の照だ。照國は昔の横綱ですわ。。。うーーーむ。
やっぱな、四股名はそういう思いを込めてつけるものなのだよ。たぶん。どっかの相撲部屋の宇瑠虎とか冨蘭志壽とか ふざけてんじゃねーぞーーーー(笑)
というわけで感動した話を終わるばい。
posted by toinohni at 12:31| 東京 ☀|
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