2001年初版。つまらんかったが面白かった・・・どっちやねん!! バカタレ。
ブラックホールは光さえも抜け出すことができない・・・・とか言うときに、発想・妄想に制限がない奴はこう考えるだろう。我々も我々の宇宙から脱する事はできない。我々は我々の宇宙から脱出することはできない。すると、我々の宇宙の外部にいる知的生命体からは我々の宇宙はブラックホールに見えるのではないか。
そこだな。つまり、我々はブラックホールの内部に存在しておるのである。
だって、我々は我々の宇宙から抜け出す事ができないじゃーーーん・・・
という妄想が好き。
内容はつまらん・・・ というのは既に知っている話ばかりだったからだ。ただ、画像がカラーであり、カネかけとるどという意欲は感じた。
さて、問題です。去年のノーベル物理学賞はペンローズやブラックホールの発見者に与えられました。このブラックホールは発見されたのはいつでしょうか。。。
そこだね。
80年代はブラックホールがある・・という間接的な証拠は出てきた。しかーーし、But、バット、Batはコウモリ・・・ で?
ペンローズは数学者でもあり一般相対論の研究者でもある。他のブラックホールを発見した物理学者とも絡んで1915年のアインシュタインの一般相対論で飯食った・・食っておるおる。
100年後にアインシュタインの一般相対論が予測した重力波が検出された。検出したグループのリーダーはノーベル賞を受賞した。。。ここで一言。ノーベル賞の受賞は物理学者なのだが、これは物理学者だけの仕事ではない。実験装置を作るには多くの物理学者・技術者が参加しているのであり、当然だがゼネコンなり建設技術の企業も参加している。さらに当然だが、連中に飯食わしたり宿泊させたりも必要だ。ある意味、公共事業である。潤うのはゼネコンだけではない。飯屋も素材やも・・・だから、こういうプロジェクタは国レベルになる。一国で出来ない時は欧州のように協力してやる。CERNがそうだ。
ビッグサイエンスと化した今の物理の研究の先端は一個人が紙と鉛筆で考えてなんとかなる領域では無いのである。だからと言って紙とボールペンでもだめよん。紙と万年筆でもだめサー。
研究スタイルが100年前とは様相を異にしている。それは久しい。
量子力学では天才が続いた時代がある。プランク、アインシュタインが先駆けた。。。その後にボーア、ド・ブロイ、ハイゼンベルク、シュレディンガー、ディラック、パウリ、などの錚々たるメンバーが続いたのである。日本では湯川秀樹が傑出している。こいつら天才が。。。ボルン、ヨルダン、ゾンマーフェルド、コンプトン、その他数人と追加したいのだが、略。
しかし、彼らは宇宙論では活躍しなかった。時代は宇宙論の前だったのだ。上の天才連中は量子力学という分野での話だが、分野を広げるとロバート・オッペケペーやシュバルツシルト、根メートル、フリードマンらの名前が出てくる。
ロバート・オッペケペーはテレビ東京の深夜番組のお色気、恵比寿なんとかって番組で受けない芸をやっていたオバちゃん・・・・とは何の関係もない。
さらに、ロバート・オッペンハイマーである。アメリカの原爆開発の責任者でもあった。原爆投下はロバート・オッペンハイマーの仕事でもあった。殺人兵器を開発した物理学者にノーベル物理学賞は適さない・。・と言う連中は多い。ワイはどうでもいい。ノーベル賞はワシラが決めるのではないからな。
ただ、ロバート・オッペンハイマーは原爆開発で米国の勝利に貢献したにも関わらず、その後に悲運に見舞われたのだった。詳しいことを知りたかったら伝記を探して読みやがれなさいまし。
ではワイが言いたいこと。上の本ではブラックホールが銀河系の中心にあるって発見されたって書いてある。科学技術劇場鑑賞が趣味のワタクシがそれを知らなかった(笑)
発見されたのは2000年代後半だと思っていてたのでして。
うーーむ。
このように自分の思い込みが発覚してしまうというのも本を読む楽しさである。ワイはいままでこれこれだと思っていたのに、実はそれそれであったと気づくとなんというかある種の新鮮な気持ちになるのである。
ここだな、自分の無知に気づく。そこが人生の醍醐味の1ppmぐらいの楽しみであろう。1ppmというのは100万分の1ね。
気づかない人は幸いである。後悔することがないからである。・・・・by わしの伝記