https://news.nifty.com/article/sports/athletic/12136-937301/
序ノ口9枚目の華吹(50)が同11枚目の桜と対戦。はたき込みで4勝目を挙げ、50代力士としては明治38(1905)年の若木野以来、116年ぶりの勝ち越しを決めた。若木野は最後に「雷電」を名乗った雷電震右エ門の弟子といわれ、華吹の前の50代力士だ。
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序の口、序二段、三段目、幕下・・・・ までは給料は出ない。手当はあるだろう。数百人いる。その上の十両・幕内が関取である。月給が出る。数十人である。
階級社会である。
序ノ口9枚目の華吹(50)が長く続けてきたという驚異的な一面はある。それは肉体的な面もあれば、その収入でなんでそこまで続けるのかという事も驚異である。
相撲が好きなのである・・・か、どうかは知らない。
だが、50歳まで続ける事ができる実例である。素晴らしい例題である。先例である。ただ、序二段は相撲界の入門レベルであり、中卒の力士が位置するところだ。強くなって上に上がっていくので序二段で長く居座る・・・ところにどのような価値があるのか知らないが、相撲が好きである・・・ということか。まったく理解できないが、一つの生き方ではあると感じ入る次第である。
プロ野球では山本昌が50歳でも一軍にで投げたけどなあ。
そんなこと言ったらジャイアント・馬場は60過ぎてもリングに上ったし、60代でもリングで活躍したプロレスラーは他にもいる。
年だから、もうダメだ・・・とか言う発想自体が意味ないのかも知れない。努力を続けたくない連中の言い訳かも知れない。
年だからダメ・・・というのは言い訳なのだろう、多くは。そう考えると実に教訓的な話である。
見世物としての大相撲は幕内の関取だけが見られるのではない。力士は全員が見られる立場にある。土俵に上がる・・・見られる。そして生き方も見られる。そういう職業なのである。
そして、強い力士であろうが、弱い力士であろうが、生き方に感動を得るかどうかは見る側の素質に依存するのである。
ワイは感動したのである。
ワイは無様な人生である。低空飛行を続けているのである。だが、未だに墜落していない。そのうち50メートルぐらいは上昇してみせる・・・・と思うのである。墜落してたまるか、と思うのである。どーよ。なにがよ。知らんよ。