「クォーク2」 南部陽一郎・講談社BB 1998年頃
「素粒子の統一理論を求めて」西島和彦・岩波 1990年代半ば
「現代の物質観とアインシュタインの夢」益川敏英・岩波 1990年代半ば
他にも入門書はいくつ読んだが略だ。
素粒子の標準理論は1980年頃にできた。その後の数十年で発展して今では、素粒子の標準理論と言われる。それに依ると素粒子の分類は次のとおりである。
(1) クォーク・レプトン 物質を構成する素粒子である
(2) グルーオン、Wボソン、Zボソン、光子 チカラを媒介する素粒子である
(3) ヒッグス粒子・・・補助場、ヒッグス機構 ここらがわけわからんの
詳細は略するが僕が勘違いしていたのはこういうことだ。
原子はu,d, eの3つの素粒子で構成される。原子核は陽子と中性子で。陽子はuud, 中性子はudd。
ところが素粒子の分類表でクォークは u,d,c,s,t,b と6種類ある。ついでにレプトンも e, μ、τとそれぞれのニュートリノがあって6種類ある。
では、原子構造に寄与しないクォーク c,s,t,bやレプトンのμ、τは何の役割があるのか。それよりも、こいつらはどこにおる? 自然界に存在するものなのか? という疑問が生じた。
そもそも、クォークが導入されたのは1950年代から60年代にかけて加速器が稼働して、大量の新粒子が発見され、それらはハドロンと呼ばれるが、大量のハドロンは複合粒子であると考えてクォークを基本粒子として仮定して説明するために生まれたアイデアである。
突然、クォーク仮説がでてきたのではなく、ゲルマンの八道論、坂田模型などが出て。物理学者が四苦八苦した後に、坂田模型のp , n, Λ を u, d, s と置き換えるという提案が出た。ゲルマンやツヴァイクの提案である。そこでクォークの電荷が分数になり、当時は怪しい理論であるとおもわれた。
電荷が分数の粒子は検出されたことがかないのである。
まあ、ここらは素粒子の発展経緯の話なので入門書に書いてある。僕が考えたことは次のことである。
ハドロン。バリオンとメソンに分類される。そのハドロンの寿命はちょ~短い。10のマイナス15乗とか10のマイナス23乗とかも出てくる。
これらは加速器で実験的に作り出されたものである。自然界に存在するものではない、とワイは考えた。
実験機で10のマイナス15乗とかの ちょ~短い寿命のハドロンを説明するために、クォークというものが考え出された。違和感がある。自然界に存在しないものを説明するために、仮想的な素粒子を仮定しているだけではないか。
ワイのこの考えはクォーク仮説が出た頃の、ゲルマン等の考えと共通する。当侍者のゲルマンもクォークが実在する粒子であるとは考えなかった。ハドロンを説明するための数学的記号である、と見ていた。
ところが実験物理学者はガンバり。陽子に電子をぶつける実験から陽子内部にマイナスの電荷の何かがあることがわかった。陽子は+1の電荷であるが内部にマイナスの電荷がある。ということは、プラスの電荷の何かがあって全体として+1の電荷である。そこらの実験から陽子に内部構造があることが確実になり、uud で構成されると理解された。
つまり、僕が考えたように実験室で人工的にハドロンを作る。寿命は10のマイナス15乗とかのオーダーである。そんなの、自然界にない・・・とワガハイは考えたわけだが、ちよっと待てよとも考えた。
加速器による高エネルギー粒子の衝突実験は、日常にある素粒子の探索を目的にしているのではなくて、高エネルギー状態ではどのような粒子が活躍するのか? ってことを調べているように思える。
ようするに、高エネルギーの世界。。。。。日常にはない。
ここから、加速器実験は宇宙論と関わってくる。ビッグバンの高エネルギー状態の物理を調べる・・・という感じか。
ワシはたんに新たな素粒子を探す実験をしていると思った。つまり、1950-60年代のレベルだ。だが、違う。
ワシの想像の範囲を超えて現実の研究は進んでいる。ただ、ワガハイのようなボンクラに分かるような説明を一線級の物理学者はしない。そんな時間があるかよ、バカタレ。
だったら、引退した元・研究者が本を書け。場合に寄ってはオレも買うぞ。
というわけで、素粒子分野の研究者は宇宙の問題の一つを研究しているらしい。朕が入門書をいくつか読んで達した結論である。
素粒子論の研究者は宇宙論の一部を研究している。もはや原子核がーー、とか陽子があぁーーとかのレベルではないのである。
このような認識を持って素粒子論の入門書を読み返すと何か新たに得るものがあるであろう。
良い本は何度も読み返す。自分の知識が広がってから読み返すと新たな発見がある。
読書百遍 意自ずから通ず・・・・ だっけ。それ100回読めという意味ではないから(笑)