30年ぐらい前に深夜銀組で「酔っぱらいの主張」というのがあった記憶がある。新橋駅近辺で酔っ払いのサラリーマンのおっさんにインタビューしていた(笑)
で、それとは関係なく、わしは主張する。
「クォーク2」「素粒子論はにぜわかりにくいのか」「クォークの不思議」 などを読んだ。
感想というか、考えたことを書く。
素粒子が多すぎる。
もともとは1950年代に新粒子の発見が相次いだ事が発端だ。1930年代では素粒子は陽子、中性子、電子、陽電子、光子 だけだった。30年代終盤にはミュー粒子、40年代なかばには湯川中間子であるパイオンが発見された。幸せな時代はそこまでだった(笑)
1950年代に加速器が稼働を始めて、新粒子が毎日のように発見された。50-60年代で発見された新粒子は数百, 700ぐらいとか。
物理学者はバリオン・メソンに分類した。この数百のバリオン・メソンから規則性を探し法則を求めたい。理論物理学者は必死こいて四苦八苦したのだった。
この数百のバリオン・メソンを説明するために、ツヴァイク、ゲルマンは階層を一つ下げて考えた。つまり、これらの下に、より基本的な粒子がある。それは数少ない。だが、それの組み合わせで数百のバリオン・メソンの説明ができる。ゲルマンがそれをクオークと名付けた。
クォーク仮説は初めは u,d,sの3種類だった。だが、クォーク理論は発展して3世代6種類に増えた。
u, d, c, s, t, b と6種類だ。一般向けの本には三世代六種類と書いてある。
だが、理論は進展する。
量子色力学が登場だ。一つのクォークは3つに区別できる。したがって3世代18種類になる。
ここでR,G, Bという色の3原色の頭文字を使う。なので、量子色力学という。
これが結局は「素粒子の標準模型」へ進展し、今では「素粒子の標準理論」とも言う。
素粒子論は場の量子論を基礎理論として、ゲージ場の理論が加わり・・・・どーたらこーたらで「素粒子の標準理論」は人類の叡智の結晶である・・・・らしいぞ。
概観はそうだが、疑問は素粒子が多すぎ!! ってこと。
クォークは18種類、電子の仲間のレプトンが6種類。18 + 6 = 24 ですね。他にクォークを結びつけるのにグルーオンが8種類、Wボソン、Zボソンがあり。
クォーク + レプトン = 24, グルーオン等が10ぐらいとして、34ですわ。
区別できるという意味では反クオーク、反レプトン、反グルーオン・・・とか考えると倍になる。
つまり、素粒子の数は70近い・・・・・ そこだぜ。
言いたいことはバリオン・メソンは数百ある、それを説明するために考え出された素粒子は70前後もある。。。
ワタクシは納得が行かない。だが、実験・観測の結果を素粒子論は説明可能である。
すると、自然はワタクシの都合の良い考えとは全く違うんだよーーんって事になる。自然はワタクシの都合の良いようにできているのではない。そりゃそうだ。自然は神様が作ったのだからなあ。。。って思っているわけではない。
そもそもバリオン、メソンはいつもはどこに、いらっしゃるの? そこだね、疑問。
もう一つ。ビッグバン理論とか宇宙論とかで元素生成の話。
簡単に言うとビッグバンで生成されるのは水素とヘリウムである。そこで元素生成は終わる。では、炭素、酸素とかはどのようにして生成されるのか。
水素が固まり星を作る(この場合にはヘリウムも含まれるが略す)
星は重力を利用した核融合炉であり元素の製造工場である。うむうむ。水素がヘリウムに変わり、ヘリウムがリチウムに変わり・・・・で、鉄まで進む。
中心部に鉄が出来ると鉄から先は核融合は生じない。なので重力で潰れる。核融合のエネルギーで支えていたのが途絶えてしまい。
生成された物質は超新星爆発でばらまかれる。核融合が止まると中心部の鉄も重力を支える事ができなくなるのだ(星の質量に依存するが)
つまり、鉄で物質の製造工場は仕事が終わる。
では、鉄よりも重い元素はどのようにして生成されるのけ?
超新星爆発の際に鉄よりも重い元素が生成されるという仮説がある。ここだ、疑問は。
核融合で中心部に鉄が出来る。鉄ができる・・・・鉄の半径がある程度になれば核融合は止まる。すると重力で鉄が壊れる。陽子と中性子と電子がバラバラ・・・だが強い重力に依る圧力下にある。ここで爆発だ。鉄の原子核のエネルギーが開放されるとか、どーたらこーたらで。
問題は、どのようにして鉄よりも大きな原子が生成されるのか?
鉄は原子番号が26で陽子が30か。では陽子が30で中性子が50のような原子核が超新星爆発の際に出来るのか?
陽子、中性子は1Å以内に接近すると核力で補足される・・としよう。そこに、たまたま陽子が40個、中性子が50個という組ができるのか。
超新星爆発の際に原子番号が鉄の26の次の27から100ぐらいまでが生成されるのか、どーよ。
ワケワカメなのである。
言いたいことは超新星爆発で鉄よりも重い元素ができる・・・というのだが、鉄は原子番号は26である。周期律表では100を超える元素がある。27から100を超えるまでを超新星爆発で生成する・・・というのはワタクシとしては納得も理解もできないのであるよん。
ワガハイのようなボンクラ頭で宇宙を理解しようとする高望みがイカンかもなあ。
結局ね、物事は、これこれは・・・これこれである、という単純な断定的な表現で説明できるものはない、ってことだ。
クォーク2 南部 講談社BB で南部陽一郎が書いている。科学の先端は常にぼやけているのである。
そういうことだ。ノーベル賞受賞の南部が言うとる。連中は物理の最先端を研究し、俺が見るフォーカスがボケた風景画ではなく、シャキッとピントがあった映像を見ている・・・というわけでもないようだ。
ワガハイが見る風景はボケている。南部らの研究者が見る風景もボケている。もっとも同じ風景を見ているわけではないが。
そこだな。
これこれは、これこれである、という単純な断定的な表現で自然現象を語れるって範囲は狭いのであろう。
だって、自然はワレワレが作ったものではない。自然は自然の創作者が作ったのである。それを紙というのか、神というのか、Camiというのかは、どうでもいいわん。
つまり、ワガハイが思うのは素粒子の数が多すぎる、鉄から上の元素の生成の理屈がわからん。。。。。。
科学の入門書は読んで何かを理解するものではない。単に知る。流れを知る。理解したかったら物理の教科書を読みたまへよ・・・・なんちてな。
posted by toinohni at 17:47| 東京 ☀|
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