2019年12月30日

ある天才打者のアタマの話・・・・(笑)

野村はパ・リーグで三冠王、引退後は名将だ。ヤクルトでは古田を育て、阪神では2年連続最下位を記録し楽天ではタナカのまーを育てた・・・・
記録では王に全部抜かれた(笑) だが、王や野村のハイレベルの記録では順位は実はワタクシとしては似たようなものである考えている。
野村のGさんは野球界の至宝である。こんなに野球が好きな人は他には。。。。。たくさんいるなあ。

王や長嶋や野村や門田や山本やらと並んでキヨッパラがいる。キヨッパラは天才である・・・と多くが感じた。だが、何かが足りない。その何かが足りないというものは拙者はキヨッパラが西武にいたときから感じていて。KKコンビで有名になったPL出身の天才打者・キヨッパラ・・・といいたいわけではない。
桑田は陰気で華がなくて、知名度はあっても付き合いたくはない(笑) 桑田の息子の顔いじり過ぎの奴など、とっとと芸能界から消えてしまえと思っている。不快だわ、あんなの。
その桑田とキヨッパラでキヨッパラは天才だと思う。桑田は別の意味で天才だと思う。ともに実績としては素晴らしい。
だが、桑田は頑張ったな・・と思うもののキヨッパラに対しては物足りなさが残った次第である。
それはなにか?  年末に暇で(年中 ひまだけど) Youtubeの落合ものを見ていて、ああ、こういうことか、と勘づいた。
昔、40年ぐらい昔。大相撲では天才・輪島と怪物・北の湖が横綱で切磋琢磨していた。輪湖時代という。
先輩横綱の輪島は体躯では怪物・北の湖に劣るものの技の巧みさでは勝っていた。輪島は左下手を取ると負けない。取れないと高見山のような大型力士にとっとと追い出される弱さも見せた。
だが、輪島・北の湖戦は見ていて興奮し、感動し。輪島が左下手を取る、北の湖は右の上手を取る。普通は上手を取ると有利だが、これが成り立たない。北の湖は何度も輪島に転がされた。
しかし、北の湖は怪物・北の湖だ。戦略を整えて、そのうちに輪島に勝つようになった。
切磋琢磨とはこういうものだ、とワシは感動した次第である。

で、体躯に恵まれ、運動神経に恵まれ、甲子園で活躍するという運にも恵まれたキヨッパラが、どうして天才から脱落したのか。。。知らんわい

天才打者とは落合の事である。177cmの身長のくせにバットは87cmと長めを使う。
ここらの細かい話はいいとして。

練習は人がいないところでやる・・・昔の王や長嶋の話でもそうだった。人前で一生懸命に練習している姿を見せるのは三流だ。もっとも三流の一茂はそれさえもしなかった。。。かどうか知らん。

長嶋は自宅地下にトレーニングルームを作り、王は畳が擦り切れるほどの素振りをし。。。

他の打者も見えないところで努力をしていたらしい。
オレ、あんまり勉強してないんだ・。。。といいながら、実は家では必死こいて勉強してる。・。。みたいで楽しい・・・

ここね。

輪島の真似して、左下手を取って右から絞って攻めて勝つというスタイルで成功した力士は他にはいない。
落合の真似して、左足をオープンにして成功した打者はいない。
王の真似して一本足で成功した打者はいない。
ただ、打者で性交した連中はたくさんいるぞ(笑)

天才打者のマネを真似してうまくいくわけがない・・・・・というのは、実は単純だ。たとえば落合の打法は落合の体躯・運動神経に最適化されているのだ。
王の打法は王の体躯・運動神経に最適化されているのだ。

だから、西武の山川や中村は落合のマネを絶対にしてはいけない。山川の体躯・運動神経に最適化された打法で本塁打を量産している。中村にしてもデブだが中村の体躯・運動神経に最適化された打法で成功している。それでいいのだ。プロの打者が他人を真似るというのは危険だ。

ある意味、プロ野球での天才とは自分の体躯・運動神経に最適化した手法を身に着けた選手を言うのである、と考えた。

キヨッパラは結局、そういうレベルに達しなかった。そこに何か不甲斐なさを感じたりする。努力していないという意味ではない。

プロ野球の世界で努力しないで20年ぐらいも続ける事ができるわけがない。相当な努力はあったと思う。だが、キヨッパラはある地点に到達できなかった。。。。と妄想する。

それでも歴代5位の本塁打数だ。天才であることは間違いないのだが、ハゲの落合の数字を超えていても、長嶋の数字を超えていても、何か物足りなさが残る。

そこに私のキヨッパラは王を超えるという期待感があった事は否めない。結局、無い物ねだりである。キヨッパラはそういう世間の見方を感じつつ生きて来たに違いないと妄想する。期待過剰である。こいつは なんとかして 普通の人に戻さねばなるまい・・・と妄想するのである。

posted by toinohni at 17:21| 東京 ☔| Comment(0) | 日記もどき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クォークの不思議・・・不思議なのはクォークだけではないわい

前にも書いたが再度。図書館にある。
タイトルのように不思議なんですわ・・・・というのは実は違う。ようわからん。何が不思議かも分からん状態の拙者である。つまり、ここらは筆者としては理解するという事は放棄して単に知るという事に徹する戦略である。知るって事は労力は要らない。読めばいい。理解するってのは知る事とは次元が違う。

昔、ワシが第一志望の灯台に落ちて浪人のころ、予備校の数学の講師は言うた。知るという事と分かるという事とは次元が違う。分かるという事は最低限でも見ないで書ける事だ。
そんな・・・見ないで書ける事がワテのようなボンクラに出きるわけがないだぎゃ。当然だが灯台より格下の街灯レベルの大学に進んだ次第である。えっへん。

とりあえず分からんのが、加速器のエネルギーがE = mc^2のエネルギーを超えるとm = E/C^2の粒子が出てくる場合があるとかいう。それは特殊相対論の世界だ。だが、そこで出てくる粒子は寿命は短い。10^(-6)ぐらいならば僕としては慣れた世界なので気にもならないが、10^(-24)とかになると、ちょっと待てよ。思う。光だって、そんな時間では進める距離は10のマイナス何乗という世界であって。
それって、ひょっとしたらあれか。特殊相対論の世界では粒子の速度が光速に近づくと分母の平方根の中の項が効いてとんでもない大きな値が出るってものか。
つまり、ミューオンの寿命では地上に到達しないはずなのに、地上で観測されるのはどうしてか、という問いに対する回答と同じで。光速に接近したミューオンは寿命が伸びているから。
それと同じで加速・衝突実験機で生じた粒子の寿命は10のマイナス30乗であっても、その速度は光速の0.999999999999999999999999999999999ぐらいなので寿命はμ秒のレンジに入るってか。そなの?

というわけで、筆者はこの本を読んでいろいろと妄想することを楽しんでいる次第である。まー別に物理学部の学生ではないしょー(笑)

ただ、ここらの入門書がもっと多いといいねと思う。「クォーク2」南部・講談社BBぐらいだろ、他には。
オレみたいなボンクラ脳ミソでも興味が出たら読むからさ。読んで分かるわけないじゃーーん、って話ではないのだよ。わかろうがわかるまいが読むんだよ、話はそれからだもん。

もっとも誰が買うねん・・・・という問題はあるかもなあ。出版不況は言われて久しいし。この手の話はサイト検索すればいろいろ出てくるからね、断片的には。

この断片的には・・・・ではないところに書籍としてまとまった文書の強みがあると私は考えるのだが、出版社はここらをもっと主張して欲しいものである。
あかん、まじめになちまった(笑)

posted by toinohni at 11:59| 東京 ☁| Comment(0) | 物理科学雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする