昔、美空ひばりが大人気だったころ、ワタクシは興味もなく、なんでこんなおばさんが大人気なのかなーと思って見ていた。マスコミは持ち上げる。大物歌手として扱う。
ワテはどこがそんなにすごいのか理解出来ず。
同様にビートルズが大人気だったころ。メディアは称賛、褒め殺し(笑) ワッシは何がどのようにすごいのか理解できず。だがメディアが騒いでいるし、じゃあそうなんかなーと思うぐらいであった。
ようするに私の感性は私固有のものであって、美空ひばり、ビートルズに感動する何がしかのものを持っていなかったわけだ。
で、みんなが騒いでいるから一緒にさわがないといかんかなー・・・・という付和雷同型の連中ばかりだったわけであると思っている。
ビートルズも、美空ひばり、も つまらんのだ。ところが、つまらんのだ、という連中の声がメディアに載ることはない。
これこそが世間というものである。バカがバカを騙す構図の原理はここにあるのである。周囲と同じでないと不安が生ずるという気弱なバカを騙すのはここだ。
個性が大事だという女子高生がワンパターンの太もも丸出し・・・(笑)。そこは個性ではなく、周囲と同じでないと不安であるというバカの証明である。バカの典型は自分で考えない。自分で考えたフリをして周囲と同じにする。
NMBとまなぶくん、は楽しい番組である。たぶん。10代後半であろう少女たちの表情は見ていて楽しい。反応も意識してかとどうかは知らないが、ボケがいい。天然かも知れない。
わしの感動した音楽は。。。楽曲は、一つ2つあげる。
山口百恵の「曼殊沙華」 これは聞いて感動して涙が出て、いったいどうしたことだと思った。音楽は歌い手がいて楽器の演奏者がいて。・・・歌詞があって、曲があって・・・・なのだが、オラが感動した楽曲は山口百恵が歌い、楽器演奏はギターだけだった気がする。
ギターのイントロであれれれれ、。と引き込まれ、山口百恵の歌唱で感動を覚え。歌詞はさほど感動を得ず。
歌い手とギター奏者の二人のパフォーマンス・・・・だが歌詞も曲も意味は持つ。
別の歌手が「曼殊沙華」を歌ったの見たことあるが、まったく感動はなく、駄作であり、ひどい作品であった。
曼殊沙華という作品は山口百恵とその時のギター奏者の二人を抜きにしては意味はない。山口百恵はたしかに素晴らしい、傑出した歌い手ではあるが、それだけでは成り立たない。そのときのギター奏者とのコラボでしか、あの作品は成り立たない。
そのような感動を我は得たのである。どーよ。 なにがよ?
ただ、みんなが一緒にわーわーしているときに、それってつまらんわい、と言い放つのは勇気がいるわね。爪弾きになる、仲間に入れてもらえなくなる、・・・。当然だが、そこにこそ意味がある。
そんなバカ連中とはさらばじゃ、ワッシはワッシの道を征くのじゃー・・・・
そんな生き方をした連中が、ビートルズだったのではないかと想像して、ついでに妄想している。
posted by toinohni at 14:14| 東京 ☁|
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