電子はJ.Jトムソンによって発見された。1897年のことだ。ただし、電子の存在自体は既に先人が示唆していた。ローレンツの電子論は有名だ。読んだことないけど。
トムソンは電子流であろうと考えられるものが磁場で曲がることから電子流は荷電粒子であり、電子は荷電粒子なのであり、質量と電荷の比はm/q = これこれであると結論した。
ここで電子の大きさは不明だ。
それから10年ぐらいしてミリカンは有名な油滴の実験で電子のm,qの値をはじき出した。ただし、電子一個の観察をしたのではない。ある量の電荷の最小公倍数として電子の電荷を出したのだ。たぶん。ようするに電子一個に関して大きさとか分かったわけではない。
とにかく電子は荷電粒子であり質量m, 電荷q の値がわかった。
そして1911年にラザフォードが原子核を発見すると原子構造の解明が一気に・・・進んだと思う。少なくとも電子は原子の質量にたいして寄与していない。だって軽いんだもん。10のマイナス31乗 kg ってさ。ちょ~軽い。
1920年代に入ると光の二重性がバレて。いや、物理学者が光量子を受け入れた。光電効果やコンプトン散乱という実験結果が大きく寄与したのである。
その光の二重性にヒントを得たド・ブロイは電子が波の性質を持つと唱えた。何をバカな事をいうんだ、ちみぃは? と指導教官は呆れたものの、アインシュタインの意見を聞いたら天才は物事を独特の勘によって見抜く。ド・ブロイの論文が論文誌に載った。オーストリアのエロ物理学者のシュレディンガーがド・ブロイの物質波をヒントにシュレディンガーの波動力学を作ったのは1926年である。
さて、電子は粒子の性質を持つ。電子流が磁場で曲がる。磁場中を運動する荷電粒子はローレンツ力を受ける。これはブラウン管の動作原理だ。電子ビームは磁場で曲げられて走査という機能を持つ。ブラウン管はCRTとも言うが既に液晶に駆逐されてもうとる。
一方、電子が波の性質を持つことは1920年代後半にはデビッソン・ガーマー、G.Pトムソンによって実験で検証された。G.PトムソンはJ.Jトムソンの息子である。父ちゃんは電子を粒子として発見し、息子は電子の波としての性質を実証した。この親子ってすごい!!
電子の波としての性質は光学的には電子顕微鏡として応用されている。電子の波長を光の波長よりもはるかに短くすることで分解能を劇的に向上させることが可能となるのである。
で、言いたいことはここからだ。
電子の本質は波であるのか、粒子であるのか。波であると考えると磁場から力を受けることの説明はどうなる? あれは荷電粒子と考えて辻褄が合うのである。本質が粒子であると考えると干渉の説明がつかない。なので、粒子・かつ・波動であると考えざるを得ない。
そのようなものはどのような描像をすればいいのか?
素粒子論の入門書等を読むと・・・次のような表現がある。
レオンレーダーマン 素粒子は真空の泡立ちである。
吉田伸夫 素粒子は粒子ではない、キリッ)
佐藤文隆 場の振動モードを粒子と言いくるめる
場が励起された状態が素粒子である・・・・として、それがどのようにして電場と相互作用するのか、それがどのようにして質量mを生み出すのか、それがどのようにして電荷q を生み出すのか?
質量や電荷は相互作用する際の係数である・・・・・なんちてね。
というわけでワケワカメな状況に入り込むワタクシ。まー、これこれはそれそれである、というようなテレビのアホバカ番組のような感じにはいかんわな。
以上、入門書を読んで断片的な知識は増えたのだが、何かを理解したという気にはならないのである。科学史みたいな話は知識としては増えてきたけどね。考えるとドンヅマリだ。そうだ、考えなければいいんだ、どっひーーー