2019年08月30日

なんか知らないか新しいサービス?

掲示板がだいぶ廃れた。Blogのコメント欄が掲示板の代わりになるかと思ったらならん。
サイトで掲示板を持っていた連中はほとんどが掲示板を閉じたようだ。そりゃ単純な理由だ。メンテするのが大変だからだろ。
そこだ。スパムな書き込み、非難中傷がある書き込み、単になる自分の宣伝の書き込みなどはAI技術を駆使してさくじょすればいい。。。。って、だれがそのツールを作るわけ?

そこだ。AI技術の活用を。AI技術を宣伝したいAI起業家は、当社がタダで御社の掲示板の非難中傷・スパム等の書き込みを削除しますっ。サービスすればどうよ。
AIの技術の磨き、タダでやれ。(笑)

つまりは、掛け声だけは、いつの世も、かしましく。

Web2.0とかオブジェクト指向とか掛け声だけは元気よく、それで儲けようとする連中がたくさんいてな(笑)

そういうなかで、peingとかいうの知った。いまのところ詳細は知らない。
掲示板が管理者にとってはメンテが大変なので、ということであればメンテが簡単な掲示板のようなものがあるといいなあ、って発想はある。それがそういうものかは知らない。

つーわけだが、8月は明日まで。うむ。

posted by toinohni at 17:48| 東京 ☁| Comment(0) | ソフト系雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

心の琴線に触れる何か・・・・それだよ

心の琴線に触れるモノづくり・・・・30年ぐらい昔にSONYが元気だった頃のデブの経営トップが言った言葉だが、当時は確かにSONYの製品はテレビにしてもラジカセにしても私の心に響く何かがあった。
心の琴線に触れるモノ・・・・・それは決して安い・性能が良い・使いやすい、というだけのものではない。そのモノを世に出そうとする企業のエンジニア、営業、企画、製造事業所、そういった総体として醸し出す何かがあった。その製品の背後に私は関連する人たちの何がしかの心意気を感じ取ったのである。
決して、安い・性能が高い・使いやすい、というだけではない。その配備にある何がしかのもの、それを私は感じる感性が当時はあった。
今は電脳グッズ、その他の電子機器を製品として見て、そのような感慨はなにもない。似たようなモノが出てきた、今度のは性能がチビッと上がったらしいぞ・・って感じだ。
今のSONYのコンシューマー製品に心の琴線を刺激するモノはない。二番煎じの量産メーカーになっている。

さて、何を言いたいか。心の琴線を刺激するもの・・・・。これだ。
吉田拓郎の「春だったね」のYoutubeでの動画。見ていて涙が出る。元気だった頃の作品ではあるが、ギター、ピアノ、ドラム、等のメンバーは若者ではない。中年である。
見ていて涙が出る。感動する。これも心の琴線を刺激する、というものの一つだ。

最近は大阪府立・登美丘高校の2017年のバブリーダンスが、それだ。見ていて飽きない、涙が出てくる、感動する。心の琴線に触れる、という事だろう。
登美丘高校の他の作品は別に涙が出るほどのものではない。ただ、うまいね、きれきれっだね、という話であり、それは他の高校のレベルと大会での上位であれば変わらない。
だが、バブリーダンスは見ていて涙が出てくる。これこそが、心の琴線にふれる、という事なのだ。

かつてのSONYは心の琴線にふれるモノづくりを目指した。だが、採算重視に偏向し買う側が感動するような製品づくりは影を潜めた。企業としては儲からないと意味はない。赤字続けては倒産する。心の琴線に触れるような製品を作り、大ヒットして大儲け・・・というのは妄想であろう。現実的な経営陣は確実な黒字化を目指す。それは正しい方向ではあっても、私は興味はない。
なぜならば、似たような製品があり、価格・性能・使い勝手に差がない、という状況であれば何もSONY製品を買うことはない。心の琴線に響かぬモノは、どこのメーカーのモノであってもいい。

吉田拓郎の「春だったね」では中年の演奏者が・。・・・・。名前は知らないがピアノ、ギター、ドラムス、その他の楽器。20代の拓郎の作品ではあるが、そのYoutubeでは50歳前後のころか。
特徴はコーラスだ。男3人、女1人。そのコーラスの簡単な踊りが、不揃いであり、それはそれでいい。コーラスの仕事はコーラスだからな。
で、心の琴線に響く。これだ。ただし、誰にもそうであるとは限らない。

登美丘のバブリーダンスは心の琴線に響いた。場末の飲み屋のネーチャンのような格好をして・・・・それが連中としてはバブリー時代の格好だと勘違いしているわけだが(笑)
それはともかく、ダンスとして面白い。前の方で踊る連中が技量は高いのだろうと思っていると後ろに下がり、後ろの連中が前に出てきて。センターのキャプテンがかわいいと話題になったが、そのキャプテンは常にセンターで踊るのでもない。ここらの組み合わせ、入れ替わりは振り付けを考えたアカネの天才を感じる。人を育てると同時に作品のレベルも上げている。
加えて個々人の表情の豊富さ。おったまげー、は代表的な表情をするのだが、その後ろの人達も顔がヘンだじょー、ってやってるし。

SONYにしても吉田拓郎にしても登美丘ダンス部にしても、心の琴線に触れる作品を今後も創れるか。そこだね。
SONYは日用品ととしての電子機器、電脳グッズを作るメーカーで儲かればいいのかも知れないが、消費者の中には私のように心の琴線に触れるモノを期待する奴もいる。私は2000年代前半にAIBOに感動して購入したが続かなかった。残念ではあるが儲からない、という事実も事実。
吉田拓郎の楽曲は私は拓郎が20代の頃の作品だけを聞く。それを60代の拓郎が歌えば聞く。新しい楽曲は期待していない。それはそれでいい。
登美丘ダンス部は高校生の部活である。高校生は3年で卒業する。毎年、新入生が。そして卒業生が。そういうなかで登美丘ダンス部という体質というか、特徴というか伝統というか、維持することは大変であろう。心の琴線に触れるような作品が次はいつ出るか。私は期待して待っている気がする次第である。

SONY,吉田拓郎、登美丘高校ダンス部・・・・・・こういうところに共通項を見つける私って、焼酎の飲みすぎであろう。うむうむ。

posted by toinohni at 17:14| 東京 ☁| Comment(0) | 日記もどき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

文字コード変換で四苦八苦してタノシー

Java入門書の例題を出版社からDLして、そしたらshift-jisだったので漢字変換とかいうツールで一気にutf-8に変換した。その後にVScodeでJavaのお勉強・・・・の時に、あれっ? と気づいた。
utf-8に変換したはずなのにshift-jisと表示されているぞ・・・。
うーーむ。秀丸で開いて文字コード見たらshift-jisになっている!! utf-8に変換したはずなのにぃ。

うーむ。ここはPythonの学習も兼ねてコード変換の自作ツールでも作るか。shift-jisで読んでから別ファイルにutf-8で書き出せばいいんだろ。
という事で四苦八苦して作った。指定のフォルダーの下にサブフォルダーがあるので、そこらの処理も。
import os
import libpath

とかも、pathの最下層取得やら、その下のファイル名を取得やら。

四苦八苦して、できた!!    で、10ぐらいのFolderの下に合計50ぐらいのjava source fileがあって。秀丸で読んで文字コード確認したら、あららら、変換してないなあ。shift-jisのままやないかーぃ。どっひー。昔、知り合いに土肥さんという人がいたなあ(笑)

というわけです。そしてオレは気づいた。コード変換できているファイルとできていないファイルの違いはなにか?   そう、日本語が入っているファイルは正しく変換されてutf-8になっている。ところが日本語がないファイルはshift-jisのままだ。なんで変換しないのかーーーい。

そう。英記号だけならばshift-jisファイルとutf-8ファイルは同じなのであーーる。どうだ、そこに気づくまでに半日も費やしたぞ。おかげでPythonでのファイル処理に少し詳しくなったけどな。

別問題。VScodeでjavacを使うと日本語がコメントにある場合にエラーだ。コンパイルしやがらない。java 8だと思うけど。
> javac –encoding utf-8 hagahage.java   のように指定するとコンパイルする。VScode Editorはutf-8で使うのが常だ。てへ。

件の漢字変換とかいうツールも正常だったのだよ、ちみぃ!!   くそ、オレのバカぁ

posted by toinohni at 11:23| 東京 ☁| Comment(0) | ソフト系雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする